最近の学習記録

 最近の学習について書いていなかったので、久しぶりに書いてみよう。
 聴き直しはラトヴィア語→広東語という流れと、Assimilのハンガリーコースの初めての聴き込み。
 単語学習はトルコ語。昔買ったトルコ語の短編の翻訳などもいずれしてみたいので、そのための準備。
 カンボジア語とベンガル語の復習兼聴き込み用の調べ。『ロシア語リアルフレーズBOOK』(研究社)の調べ。この本はロシア語口語の活きのいい表現が満載。
 アンデルセンの作品(デンマーク王立図書館のサイトからプリントアウト)の講読(電車内での読解なので、色々な意味で大変)。
チェーザレ・パヴェーゼの『月と篝火』の講読の続き。
 その他の学習も以前からの続きで、そう大きな動きは無し。今までやっていない言語の文法もやりたいが、もうあまり無理は利かないし、意図的にセーブしている。
 こう列挙すると、セーブしているように見えないかもしれないが、以前よりは抑制しているつもり。

高山病やら校閲講座やら

 夏休みに立山・黒部へ旅行をしたらなんと高山病にかかってしまい、嘔吐したりして大変だった。ちょっと体調も崩してしまい、ブログの更新も滞ってしまった。帰ったすぐ後に会社の校閲講座もあって余裕がなかったのである。
 講座も満1周年で、7月からまた新しいクールに入った。この講座の最後に、「世界の歌を味わおう」というコーナーを設けて、自分でチョイスした世界の歌を聴いてもらっている。原歌詞とその翻訳を見て聴いてもらう。もちろんきちんと必要な申請はしている。というわけで、そのための翻訳(これ自体はとても面白い)をしていると、多言語学習をしてきてよかったなと思う。歌一つだけ取っても、言葉の意味が分かるのと分からないのとでは大違いである。そしてたとえゆっくりとであっても、その歌詞を直接了解できた時の味わいというものは、機械翻訳やAIでは肩代わりの利かないものである。その喜びを少しでも味わってもらえれば、言葉というものに対する認識を深める一助となってくれないか、という期待がある。校閲は日本語の枝葉末節的な断片的知識の集積だけで出来るものではない。言語というものにたいする自分なりの洞察が無いと、適切な疑問提出も出来ないのではないかと思う。
 あとどれくらい続けることになるか自分でも分からないが、テキストにイラスト等を入れて分かりやすく楽しいものにするなど、自分で出来る最大限の努力はしているつもりである。人前で話すなど決して得意なことではないが、縁あって任されたことなので暫くは頑張ってみようと思う。

アラビア語のポップス

ナンシー・アジュラムというアラブの歌姫(世界的に有名らしい)の歌の歌詞を訳そうと思って調べてみた。
正直アラビア語は辞書を引くだけでも大変な言語なので(語根となる三つの子音を抽出できないと辞書が引けない)一苦労なのだが、その上にポップ・ミュージックとなると、正則アラビア語(フスハー)ではない現代語(多くはエジプトのカイロ方言と思われる)で書かれているので、普通のアラビア語辞典だけでは歯が立たない。私はエジプト方言―英語の辞書を持っているので助かっている。
とは言うものの、それだけでは解決できない問題もある。そこでネット上に何か良い辞書が無いか探してみたら、やはり英語との対照辞書で、古典語・エジプト方言・レバノン方言が調べられるサイトを発見した。こういう辞書サイトは重宝する。あらゆる辞書を用意できるわけもないので、今後はこういうものにも頼って行こうと思う。またその歌詞自体の翻訳(英語その他)も存在することがあるので、その翻訳の正確さは絶対ではないけれども一応の参考となる。
それでもまだ分からない所がある。しかしこういう経験も面白いし大事なことだと思う。
この作業の影響でナンシー・アジュラムに興味を持ったので最新のCDを1枚買った。最近では珍しいことである。新しいことを知るのは楽しい。

遊びに夢中で

 しばらく更新をサボってしまった。というのも、ここのところいろいろな歌の歌詞を訳してみる、という遊びをしていて、それが楽しいのでついつい時間を取られてしまうのである。
 翻訳が好きなのだろう、と自分で思う。しかもいろいろな言語の歌詞、ということになると、作品が短く凝縮している上にバリエーションが多いので、多言語学習の応用としてはなかなか面白い遊びなのである。もちろん著作権のあるものはしかるべき手続きを経なければ公表はできないけれども、それなりに古い歌や民謡ならその点は大丈夫であろう。もっとも基本的にはプライベートな遊びなので、このブログで発表するというわけにはいかない。自分で訳したうえで音源を聴いてみるのは、なかなか良いものだと思う。言葉を味わう、という点では上等な遊びである。
 そんなわけでブログの方はおざなりになってしまいがちだ。もっともブログに波があるのはしようがないと思う。書きたいことが無いときに無理矢理書いても、同じことの焼き直しになりがちだし、総論に疲れた時は具体的な言語に触れる方がいい。ただそれは上手く伝えるのが難しいのだ。というわけで、気分的に当面は更新が不定期になりそうである。もちろん書くべきことが出てくれば、すぐに書くつもりである。自然な流れで行こうと思う。

外国語テキストの過剰な注釈

チェーザレ・パヴェーゼの『月と篝火』(La luna e i falò)の原文テキストを読んでいたら、それに付いている注があまりにうるさいので、少しイライラした。
 一々の表現の意味を簡潔に説明するだけならよいのだが、個々の表現にはこれこれの技巧が用いられているとか、こういう比喩にはこういう効果があるとか、別に知りたくもないうるさい解説が山盛りで、どこで注を読むのを切り上げるかに気を使うという、ちょっといただけない注釈になっている。
 よく見たら出版社はEinaudi scuolaとあるので、これはエイナウディ社の教育出版部門なのだろうか。つまりこのテキストは、学生が文学を勉強するためのものらしいと気が付いた。だからこんなに懇切丁寧というか過剰な説明が付いていたのだ、と納得した。
 しかしこんな教科書で教育されて文学が好きになるものだろうか。日本語の古典教育でもそうだが、最初から文章技術や文法の詳細な説明を聞かされたらうんざりして嫌いになるのがオチのような気がする。最初は意味が了解できる程度の説明で、とにかく作品が味読できることを第一に、良いものをとにかく読むということが肝心だと思うのだが。
 とにかくこの本は、注は適当に流して読んでいくことにする。外国語の本選びも意外と難しい。
プロフィール

井上孝夫

Author:井上孝夫
多言語の学習・研究、多言語読書を長年続けています。著書に新潮新書『世界中の言語を楽しく学ぶ』『その日本語、ヨロシイですか?』あり。マンガ・イラストの別ブログ「スケッチ貯金箱」もやっています。

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