淡淡と

 年末年始の時期に歌の翻訳をあれこれ試していて、ブログの更新を忘れていた。スキャナーを新品に替えたり何だか慌ただしいこともあったもので。
 さて新年になったからといって、特に新たな抱負もこの歳になると無い。年の初めでなくても、新しい事をやろうと思った時がその事柄(または仕事)の新年である。特別なセレモニーなどは要らない。セレモニーばかり欲しがるのは、その事柄に本当の興味を抱いていないからではないかと思う。
 昨日に続く今日、というのが一番良い。その中で自然に生まれた新しい興味を育てていければよい。喜びは日常の淡々とした行いの中に見つけたい。
 というわけで淡々と訳詞にいそしんでいたわけだが、頭を悩ませる難解な個所もあって、そんなに一気に出来はしない。でも出来上がると嬉しいので、その喜びのためにやっている。
 語学の方は、一息ついてから、去年からの継続である。こちらも淡々と行こう。勤めが終わるまでこのペースで行けばいいと思っている。

トホホな忙しさ

 仕事の調べ物でてんてこ舞いしているところへ、本のタイトルを日本語の他にタミル語で付けたい、という無理難題が。家へ帰らなければ辞書も無い。ちょっと待って下さいと言って納得してもらう。
 こういう注文が一番困る。所詮は入門書を読んだだけの日本人の作文である。自然なタミル語になっているかどうか、なんて分からない。家で何とか形は付けたが、ほんとにこれでいいのだろうか。
 しかしこれだけのことをするだけでも、普通は難しいのである。文法ノートと入門書・辞書(タミル語→英語のもののみ)があったから辛うじてできたわけだ。しかし後でタミル人から「変なタミル語が書いてある」と文句を言われても、これ以上はもうできない。
 しかも手書きでなくデータで渡さなければならない。タミル語のキーボード配列も探り出さなければならなかった。これは後で利用できるから、まあいいか。
 もう一年再雇用してもらえることになったから今はいいが、その後はどうなることやら。さすがに社員でなくなったら、そんなことにまで付き合ってはいられないから、後はどうにかしてもらうしかない。私が心配しても仕方ないのだが。
 とにかく時間が無い。もう少しのんびりしたいなあ。

校閲と音声学

 校閲講座も今年の分は終了してホッとしている。最終回はいつも「翻訳校閲」について話しているのだが、今回は試みに「音声学の基礎」について話した。
 というのも、翻訳に限らず、外国語のカタカナ表記というのは悩ましいもので、その基準はいかなるものか、誰しも知りたいのではないかと思ったからである。
 しかし生憎と、この問題に簡単な正解というものは存在しない。そしてそれがいかなる理由で難問となっているか、そのことを理解することが第一歩であると考えたのである。
 困難の原因は、発音そのものの基本的原理があまり理解されていないのと、文字というものが、その言語の持つ一種の「歪み」を反映している、ということに無自覚である場合が多いという2点にある。
 対象となる音がいかなる調音をされているのかが明瞭に把握され、そしてそれを表すカタカナにいかなる音声的偏向(日本語の音韻の特徴による)が存在するのかを言語学的に了解していれば、最適の表記を決めるのに役立つだろう。もちろん学問とは別の常識も必要だ。一般の日本人が発音に困るような奇妙なカナ遣いをしてはならない。カナ遣いの要諦は、「日本人に発音しやすい最近似値のカタカナ表記をする」ということである。
 短い時間ではごく初歩的なことしか話せなかったが、それでもカオスのような状態に、多少なりとも秩序のようなものが導き入れられたなら幸いというものである。今後もこの方向を追求していく価値はあるかもしれない。

忙しかったが

 あまりに仕事が忙しくて、ブログに手が回らなかった。今抱えている仕事が、手が掛かる上に時間の余裕がないために、もう必死でやっている。精魂尽き果てて帰ってくると、もう文章を書く余力が残っていないのだ。おまけに年賀状のデザインも考えたりしなくてはならない。外国語学習もサボれないから、その感想について書くことまでは出来なかったのである。 
そんななか、『初めてのウズベキ(スタン)語』(明日香出版社)の調べを終えた。ネットの書評でも言われていたが、かなりの数のスペリングミスがあって、結構調べに苦労した。ネイティヴが書いていながらどういうことだ、と文句を言うのは簡単だが、ちょっと立ち止まって考えてみよう。ウズベク語(この呼び方のほうが一般的だろう)の表記は昔はアラビア文字、ソヴィエト時代はキリル文字、1992年以降になって初めてローマ字表記となったのである。ということは、最初からローマ字で習った人というのは当時6歳、つまり現在25歳以下の人たちということになる。それより上の人たちは途中から文字を変更されたか、以前の文字体系を習ってから改めて覚えた人たち、ということになる。国語としてもまだ定着する途上だと言っていいだろう。スペリングが固定していない言語などたくさんある。表記がたくさんあり過ぎて日本人自体がまごついていることを考えたら、まだ若い表記法に厳密さを求めるのもどうかと思う。言語規則を制定することと、それが定着するのとはまた別のプロセスである。それに関しては寛容でありたいものだ。
少し時間的余裕ができれば、また書くことも出て来るだろう。もうちょっと待とう。

満州語、そして教材中の歌について

 「満語365句」という中国出版の本にCDが付いていて、それを録音しておいたものを聴こうと思って取り掛かった。私は現在の満州語(シベ語)かと思っていたのだが、なんとこれは清王朝時代の満州族の言語、古い方の満州語の会話本なのであった。今は話す人はいないはずなので、言ってみれば「ラテン語会話」「古典ギリシャ語会話」「サンスクリット会話」などと同様の、実用を全く目指さない音声資料である。こういうのは好みだ。だけれども何も調べを行っていない状態だったので、始めると分からないことが多すぎる。そのまま「門前の小僧」的に聴く、という方法はあるが、時間が掛かりすぎるのと効率が悪いので、一旦テキストの調べを行うことにする。文法の復習にもなる。というわけで、聴き込みのメニューはスワヒリ語に替えた。
 先日まで聴いていたAssimilのハンガリー語コースは、なかなか良い教材だったけれど、このシリーズの中にときおり挿入される民謡等の唄は、あまり頂けない。素人がそのまま歌っていて、ヘタなカラオケを聞かされている気分になる。せっかく文化を紹介するのなら、歌はプロに歌ってもらうのがよい。音楽として楽しめないと、聴く気にならないのである。歌は語学にとって良い教材になるのだけれど、演奏・歌唱が拙劣では問題外だ。語学教材編集者には心していただきたいことである。
プロフィール

井上孝夫

Author:井上孝夫
多言語の学習・研究、多言語読書を長年続けています。著書に新潮新書『世界中の言語を楽しく学ぶ』『その日本語、ヨロシイですか?』あり。マンガ・イラストの別ブログ「スケッチ貯金箱」もやっています。

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