たかが例文、されど・・・

コルシカ語の教本(Assimil)の例文に味わい深いことわざがあったので、
ここに記します。

I guai di pignatta i sà u cuchjarone.
(鍋の不幸は、お玉が知っている。)

ということわざです。「お玉」とは、汁を掬う杓子のこと。
説明は、一切ありません。しかし、分りますよね。
「近くにずっといる者だけが、その人の真の苦労を知っている。」
ということなのでしょう。

古い日本映画で、木下恵介の「喜びも悲しみも幾年月」というのがありますが、
あれは今は無くなった灯台守という職業の夫婦の人生を描いた映画でした。
その中で、北の最果ての地の灯台に住む、主人公夫婦の同僚夫婦の交わす言葉がありました。
妻は病弱で、今日も体をこわして寝付いている。
枕元に付き添う夫に、こうこぼす。
「私たちのこんな苦労、世の中の人は誰も知りはしないのだわ。」
これに対して、夫が言う言葉。
「お前の苦労は、俺が知っている。俺の苦労は、お前が知っているじゃないか。」
この台詞を、思い出しました。

NHKの朝の連続ドラマ「ゲゲゲの女房」で、漫画家・水木しげるの妻、布美枝が、
夫が一心不乱に漫画に打ち込む姿を見て涙し、
「これほど心をこめて描いているものが、人の心を打たないはずが無い。
売れるか、売れないかなんて、もうどうでもいい。」
というシーンも思い出しました。

洋の東西を問わず、こういう感情は存在するのでしょう。
たかが例文だ、と言ってしまえばそれまでです。
しかし、私はこの例文に打たれました。
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プロフィール

井上孝夫

Author:井上孝夫
多言語の学習・研究、多言語読書を長年続けています。著書に新潮新書『世界中の言語を楽しく学ぶ』『その日本語、ヨロシイですか?』あり。マンガ・イラストの別ブログ「スケッチ貯金箱」もやっています。

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