『ムクドリと百一天使』 5(完)

 さて、リージ小父さんは夜になってふと、明け方に用意しなければならないロバのことを考えて目が覚めた。月が皓々と照って、昼間のようだった。ベッドから飛び下り、アーメンと唱えながらロバに鞍を置いて、ポポネの家へ引いていった。ドアを叩いて、こう言った。
 「ロバはここに置いとくよ、ポポネさん。輪のところに繋げておいたから、主とマリア様があなたと共に居られますように。」
 ポポネはそっと、嫁と息子と孫たちを起こさないように、服を着始めた。明け方に起きる習慣だったけれど、周りがあまりにも静かなので、出発の時間だとはとても思えなかった。
 「そうだわ!」──彼女は言った。──「ねぼけていたのね。」
 そして小さなマントの下に包みを持って外へ出た。空を見てすぐに気付いたのは、それが明け方の明るさではなく、月の光だったこと。村全体が寝静まっていて、ロバもドアのそばの輪に繋がれて立ったまま眠っていた。
 「ああ神様」──ポポネは言った。──「リージ小父さんたら馬鹿ね! 出発しなくちゃいけないの、夜に? どうしましょう! 私は年寄り。でも月の光があるわ。失うものは何もない。煉獄の清らかな魂たちが、私のお供をしてくれるでしょう。」
 ロバに乗り、十字を切って、歩き始めた。
 村からだいぶ離れ、大通りに出て、月の光に照らされた田園の中を、ロバの背に乗ってゆっくりと進んで行きながら、彼女はあの少年のことを考え始めた。のどをかき切られ、埃まみれの垣根の後ろに捨てられた、かわいそうな神の幼な児のことを。そしてファヴァーラで語られていた、数多くの他の殺人事件や、おぞましい復讐のことを。そして、マントを頭にかぶり、目の上まで覆って、大通りの上に田園の恐ろしげな影法師があれこれ見えたりしないようにしていた。しかし通りは埃が舞い上がり、ロバの蹄の音さえ聞こえなかった。
 その静けさと自分の歩み、月の光と、長く白いその道が、彼女には夢のように思えた。
 「おお、煉獄の清らかな魂たち!」──心の内で彼女は言った。──「あなたがたに、身を委ねます!」
 そしてひとときも休むことなく、祈り続けた。
 しかし、歩くのがゆっくりすぎたのか、体が弱っていたせいか、何なのか、どういうわけか、いつしか眠りが彼女を支配していた。ポポネは口に出して言えなかったけれど、実は通りの両側に、彼女がふと眼を覚ました時、二列になって歩く兵隊たちがいたのだった。馬に乗った隊長が先頭に立って、大通りの真ん中を進んでいた。
 ポポネは彼らを目にすると、元気づけられるような気がして、神様に感謝を捧げた。なぜなら彼女が旅をするまさにその夜、その兵隊たちもまたファヴァーラに向かうよう、神様が取り計らってくれたのだから。けれど彼女が驚いたのは、二十歳ほどの年齢の、それほど多くの兵士が、自分たちの列の真ん中に彼女のような老婆が居るのを見ても、何も言わなかったことだった。彼女より年を取ったロバに乗って、そんな時間に大通りを行くなど、たしかに見られた姿ではなかった。
 どうしてこんなに黙りこくっているの、この兵隊さんたちは?
 足音さえ立てず、埃一つ上げずに歩む兵隊たち。ポポネはは彼らを茫然と眺め、どう考えたらいいのか分からずにいた。彼らが月光の下の影のように思えた。とはいえ、それは本物の兵隊たちだった。そう、馬に乗った隊長もそこにいる。だけど、どうしてそんなに静かなの?
 そのわけは、夜が明けかけて、村が見える所まで来た時に分かった。隊長はふと馬を止め、彼女が追いつくのを待った。
 「マラグラツィア・アイェッロ。」──彼は言った。──「私は、お前が篤く信じる、百一天使だ。お前をここまで護衛して来たのは、煉獄の魂たちだ。村に着いたらすぐに、神との取り決めに従うように。なぜなら、昼になる前に、お前は死ぬからだ。」
 天使はこう言うと、護衛たちと共に消え去った。
 ファヴァーラに住む妹は、ポポネが蝋のように白い顔で、途方に暮れたようにして家へやってきたのを見ると、
 「マラグラ、どうしたの?」と大声で訊いた。
  ポポネはか細い声で言う。
 「聴罪司祭様を呼んでちょうだい。」
 「具合が悪いの?」
 「神様への御勤めを果たさないと。昼が来る前に、私は死ぬの。」
 そして、その通りになった。昼前に、ポポネは死んだ。ファヴェーラ中の人たちが家を出て、百一天使と煉獄の魂たちが、その夜村の門まで送り届けてくれた聖女を見ようとやって来たのよ。》

 ドンナ・ジェーザは口をつぐんだ。私とガッリオ、そしてドンナ・ジェーザの主人である閣下も驚いて、黙った。しかし、セバスティアーノ・テリッリは体を揺すって叫んだ。
 「奇蹟の魂にかけて! これが奇蹟? 何の奇蹟だっていうんだい? 失礼とは思うが、奇蹟だって? どうして奇蹟なんだい? 全て認めるとしましょう、可哀そうな婆さんが恐怖で死んだわけでもなく、それが、毎晩煉獄の魂と話し合っているとか言っている人に起きた幻覚でもないとしましょう。で? 奇蹟でも何でもないでしょう! これはひどい残酷さってものです。哀れな女に死が迫っていると告げるなんて! しかし、失礼、我々がみな生きていられるためには……」
 チェレスティーノ・カランドラは、それに答えようと両手を前に出した。そしていつ果てるとも知れぬ議論が、またもや、この上もなく熱を帯びて行ったのだった。
 だが信仰は、信仰は! 貧しき人々がそれを糧とし、喜びとする信仰のことは考えなくてよかったのか? インテリと言われる人々には見えないのだ、いや人生以外目に入らないのだ。そして彼らは死のことを考えはしないのだ。科学、発見、栄光、支配! 彼らは自問する。どうしてこんな素晴らしいものなしで生きて行けるのだ、土を耕している連中は。一番つらくて卑しい気苦労を果たすべく運命づけられているようだ。どのように生き、何のために生きるのかという。インテリは彼らを不合理だと見なす。なぜなら民衆は、より大きな一つの理想しか信じないからだ。その理想の前では、いかなる科学上の発見も、世界の支配も、芸術の栄光も、全て空しく滑稽で惨めなものになってしまう。その理想は民衆の哀れな魂の内で、議論の余地ない確信となって生き、彼らに死というものを正当な報酬として望ませるのである。
 百一天使の奇蹟についての議論がどれほど延々と続くか分からなかった。もし、もう一つ別の奇蹟、これは真実の、本物の、論ずるまでもない奇蹟が、その議論を突然断ち切らなかったならば。
 ステファーノ・トライーナが、猟銃を掴んだまま食堂に飛び込んで来た。息も荒く、狂喜して、その顔は赤黒く、充血し、引っかき傷だらけで、煤にまみれていた。
 彼はついにムクドリを一羽、撃ち落としたのである!

(了)
スポンサーサイト

テーマ : イタリア語
ジャンル : 学問・文化・芸術

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

井上孝夫

Author:井上孝夫
多言語の学習・研究、多言語読書を長年続けています。著書に新潮新書『世界中の言語を楽しく学ぶ』『その日本語、ヨロシイですか?』あり。マンガ・イラストの別ブログ「スケッチ貯金箱」もやっています。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード