外国語の専門用語と基礎力について

 年越し前後の暇な時間を使って、頼まれていたスペイン語の翻訳を仕上げた。相続関係の用語(資産の類別やその審査に関わるもの)が頻出するもので、ちょっと苦労した。
 このあいだNHKの朝ドラで、主人公たちの商売を外人相手にひろげようとして、経理のことをアメリカ人に頼もうとしたら、英語の好きな登場人物が経理の専門的な言い回し(close the books〔決算のために帳簿を締め切る〕)が分からなくてアメリカ人から「話にならない」と言われ落ち込む、というシーンがあった。このシーンを見てどう思うかは人によりけりだろうが、私などは切実に「気の毒だなあ」と思う。専門分野の言い回しなどは、その実務に携わっていなければ理解し難いものが多い。簡単な単語を使っているからすぐ分るというものでもないし、やはり特別それに備えた勉強をしなければ対応はできないだろう。しかしここでの問題は、「事柄自体の理解と、それに対応する英語表現を身に付けているかどうか」である。これは一般的に言う「語学力が高い」というのと少しニュアンスが違う。経理に関する会話を難なくこなせる人が、芸術や歴史や文学や、日常の多様な話題にも苦労を覚えず話せるのか、といえばそうとは限らないだろう。これは学者が英語で論文を発表し、外国の学者と専門分野の話を交わせるからと言って、その他のシチュエーションでもネイティブと対等の会話ができるとは限らないのと同じである。以前、海外で講義などもする高名な学者が書いた文章でax(斧)とox(牛)を取り違えていてどうにも文意が通じない、という現象に、仕事で遭遇したことがある。確かにその人の専門分野で斧や牛が登場する可能性は低いものだが、だからと言ってこれらが基礎的語彙ではない、とは言えないだろう。あらゆる分野に即座に対応する英語力、などというものは早々身に付くものではないだろう。基礎的実力がある人でも、専門用語で躓くのは致し方ないのである。このアメリカ人の対応も、ちょっとどうかと思う。分からなければ遠回しにでも説明する、というぐらいの忍耐心はないのか。介護のためにインドネシアから人を呼んでおいて、「褥瘡(じょくそう)」などという語彙が理解できないから失格、と言っている日本人といい勝負である。自分の方が1センチも歩み寄らずに、他者に対して完璧を求めるという、あんまり感心できない態度であると思う。
 こんなことを思ったのも、スペイン語の文書の用語一つで頭を抱えていた直後だからかもしれない。とにかく、通訳や翻訳というのは大変な仕事である。きちんと訳してくれるプロフェッショナルには敬意を持つべきである。
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

井上孝夫

Author:井上孝夫
多言語の学習・研究、多言語読書を長年続けています。著書に新潮新書『世界中の言語を楽しく学ぶ』『その日本語、ヨロシイですか?』あり。マンガ・イラストの別ブログ「スケッチ貯金箱」もやっています。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード