言語という偏見

 翻訳は本当に大変だ。原文の意味がほぼ取れても(これ自体大変なのだが)、それをいかに日本語という器に移すか、その作業に物凄く時間がかかる。
 言語は偏見の一種だ、と思う。混沌とした世界を、それ自体の尺度をもとに、切り取る。それを組み立てる。しかしそこからこぼれてしまう物も多い。だがそれにこだわっていては、世界は組み立てられない。だから、公平・客観的に世界を捉えている言語などは存在しないのだ。
 翻訳は、一つの偏見によって組み立てられた世界を、他の偏見によって組み立て直す作業である。不思議なことに、言語という偏見は、同時にきわめて柔軟なものである。どんな複雑な表現でも、ほぼそれに等しい対価物は見つかるのである。しかしそれには長い訓練と、忍耐と知力が要る。そのことは、自分で翻訳をしてみれば誰にでも分かることである。
 多言語学習は、より多くの偏見を学ぶ作業である。多くの偏見を知ることによって、特定の偏見から自由になる。そして、偏見の多様さが、人類の持つ精神的豊饒さにつながることを知るのである。一種のパラドックスと言ってもいい。
 まだしばらく翻訳に時間はかかるであろう。だが何でもトライしてみるものだ。いろいろなことに気付くのである。
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プロフィール

井上孝夫

Author:井上孝夫
多言語の学習・研究、多言語読書を長年続けています。著書に新潮新書『世界中の言語を楽しく学ぶ』『その日本語、ヨロシイですか?』あり。マンガ・イラストの別ブログ「スケッチ貯金箱」もやっています。

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