教えることで教わる

 ひょんなことから、校閲の講座みたいなものをやることになり、そのための実技テストを作るために、自前で文章をひねり出す必要が出て来た。
 何とか書き上げたものの、やはり自分で文章を書く、というのは大変なことだ。翻訳とは違う根源的な、「作る」エネルギーが無いと出来ない。プロの小説家などはこれを日常やっているわけだから、大変な仕事である。一種の運命のような仕事なのだろう。
 言葉に対する姿勢も、言語学的な「分析」という姿勢とは違うものが必要になる。傍観者的にはなっていられないのである。場合によっては自分の内面を、内臓をさらけ出すように人前に提示しなくてはならないだろう。校閲をする時にも、このことは心していないといけない。言葉遣いが少しおかしいなどと批判的な態度は控えるべきだろう。これだけのことをしてゼロから創作しているのである。作者に対する敬意・尊重は失ってはならない。
 教えることは教わることでもある。教えようとして初めて気付くことも多い。
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プロフィール

井上孝夫

Author:井上孝夫
多言語の学習・研究、多言語読書を長年続けています。著書に新潮新書『世界中の言語を楽しく学ぶ』『その日本語、ヨロシイですか?』あり。マンガ・イラストの別ブログ「スケッチ貯金箱」もやっています。

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