翻訳『サン・ジュゼッペのロバの話』ジョヴァンニ・ヴェルガ作 その3(最終回)

 ロバは車の引き方も覚えたが、車の轅は彼には高すぎ、荷の重みがその肩にすべてかかって、ロバは六ヶ月持ちそうになかった。上り坂は足を引きずり、ルチアーノは体に気合を入れようとロバを棒で叩かなければならなかった。下り坂はもっとひどかった。なぜなら荷重が背中にのしかかってロバを押し潰し、彼は背を弓のように曲げ、火で焼かれて蝕まれた脚で力の限り踏ん張らなければならなかった。人々はそれを見て笑った。もし倒れれば、天国の天使が総出で起こしに行かねばならないほどだった。
 だがルチアーノのおやじには分かっていた。ロバは三キンタル(一キンタルは約百キログラム)の荷物を運んでくれて、ラバより優秀なのだ。その荷物に対しての支払いは、一キンタルにつき五タリーだった。「サン・ジュゼッペのロバが一日生き延びるにつれて、十五タリーの儲けになる。」と彼は言っていた。「それでいて餌はラバ以下の出費で済む。」時々、ロバの後ろをゆっくりと歩いていく人たちが、可哀想なロバが力の無い足を踏ん張り、背中を弓のように撓(たわ)めて、激しい息遣いをし、生気の無い眼をしているのを見て助言した。「車の下に石を入れて、その哀れなロバが元気を取り戻せるようにしてやりなよ。」しかしルチアーノのおやじはこう答えるのだった。「そうさせたら、一日十五タリーは稼げんよ。こいつの革で、わしの皮を直さなくてはならんのだよ。まったく動けなくなったら、ロバは石灰工の奴に売ってやる。いい家畜だし、奴の役に立つ。サン・ジュゼッペのロバが臆病だなんて全くの嘘っぱちだ。こいつは農園主のチリーノからパン一切れ同然の金で手に入れたものでね。あいつは一文無しになっちまったからな。」
 そうやって、サン・ジュゼッペのロバは石灰工の手に落ちた。石灰工は二十頭ほどのロバを飼っていて、どれもがやつれて死にそうだった。ロバたちは彼のために石灰の小袋を運び、歩く道すがら口で引きちぎれる雑草を食べて命をつないでいるのだった。石灰工はそのロバを欲しいとは思わなかった。他の家畜よりひどい傷痕だらけだし、脚は焼かれた条(すじ)がつき、背峰は犂につなげた鞍に痛めつけられ、転び続けたせいで膝は潰れ、白と黒の毛並も、黒ずんだ色の他の家畜の中に混じると目立たないように思えた。「そんなことは何でもないさ。」ルチアーノのおやじは答える。「それどころか、遠くからでもあんたたちのロバどもを見分ける役には立つさ。」そして取引をまとめようと、言い値の七リラからさらに二タリー引き下げた。しかしサン・ジュゼッペのロバはもはや、誕生に付き添った女主人が見てもそれだとは分からなかっただろう。鼻面を地面に向かって下げ、耳を石灰の入った袋の下で雨傘のように垂らしている姿は、それほど変わり果てていたのだ。ロバは群れを引き連れている少年が棒で叩くたびに、背をよじらせていた。しかし女主人自身も今や様変わりしていた。うち続く不作と飢え、彼女と夫、息子のトゥリッドゥが三人とも平原で罹った熱病。硫酸塩を買う金も無かった。なぜなら、たとえ三十五リラででも売れるサン・ジュゼッペのロバすらいなかったからである。
 冬になって仕事がなくなり、石灰を焼く薪(たきぎ)も乏しく、遠くに行かねば手に入らなくなり、凍結した道は垣根に一枚の葉もなくなり、凍りついた溝沿いにも食べられる刈り株の一つさえ見当たらなかったからである。生きることは哀れな家畜たちにとって厳しいものだった。冬の間飼料は半分食べ尽くされてしまうことが、主人には分かっていた。だからいつもは、春になるとたっぷり飼料の蓄えを買い込んだものだった。夜になると家畜の群れは戸外の、石灰を焼く窯のそばに留まるのだった。彼らはお互い身を寄せ合って楯とした。しかし輝く月光が剣(つるぎ)のように、彼らの上を端から端まで通り過ぎ、彼らの皮の固さにもかかわらず、背峰の擦り傷には悪寒が走り、彼らはまるで言葉を交わしているかのように、寒さの中震えていた。
 暮らし向きのもっとひどいキリスト教徒もたくさんいる。彼らには、ロバの群れを見張りながら窯の前で眠る少年が着ているボロボロのマントすら無いのだった。この近所に貧しい女が、石灰の窯よりもっとみすぼらしい家に住んでいた。その家には、星の光が屋根から刃(やいば)のように射し込み、まるで戸外にいるようだった。風は、家を覆う四枚のボロ布をはためかせていた。以前彼女は洗濯屋をしていたが、それは惨めな職業だった。なぜならば人は皆、おんぼろの服を洗うとしたら、自分の手で洗うものだからだ。息子が成長した今、彼女は村へ薪を売りに行った。しかし誰も彼女の夫のことを知らず、売るための薪をどこから手に入れているのかも分からなかったが、彼女の息子は、母が農園の番人から発砲される危険を冒して、あちこちと薪をかき集めに行っているのを知っていた。「もしあんたがロバを手に入れたら、」もう役立たずのサン・ジュゼッペのロバを売り飛ばそうとして、石灰工は彼女に言った。「もっと大きな薪の束を村へ運べるぞ。あんたの息子はもう大きいからな。」哀れな女はハンカチの結び目に何リラか隠し持っていたが、石灰工にその金をせしめられた。というのも諺に言う通り、「古い物は愚か者の家で死ぬ」からだ。
 少なくともこうやって哀れなサン・ジュゼッペのロバは、その最期の日々をより良く生きた。寡婦は支払った金のおかげで彼を宝物のように扱ったし、彼のために夜の藁と干し草を探しに行き、家のベッドの傍らに彼をつないでくれたので、それは彼をマッチのように温めてくれた。この世では、片方の手がもう片方の手を洗うように、助け合いが行われるのだ。女は、耳がどこにあるのか見えなくなるほど山のように薪を積んだロバを自分の前へと追い立て、夢物語を紡いでいた。少年は垣根に穴が開くほど薪を切り、無謀にも森の外れまで積み荷を束ねに行き、母と息子はこの仕事で金持ちになれると信じていた。だがついに番人が少年を、小枝を盗んでいる現場で捕まえ、棒で散々に叩きのめした。医者は少年を治療するため、女のハンカチに残っていた金と、薪の蓄えと、売れる持ち物全てをむしり取った。しかもそれは大した額ではなかった。それで母親はある夜息子が熱を出し、壁に燃えるような顔を向けてうわごとを言い、家には食べられる一口のパンも無くなった時、不安のあまり、自分も熱があるのだと口にしながら外へ出た。そしてすぐそばにあるアーモンドの木の枝を折り、明け方にそれをロバに載せて売りに行こうとした。しかしロバは重さのあまり上り坂で膝をついた。それはまるでサン・ジュゼッペのロバが幼子イエスの前で跪いているようだったが、もうそれきり起き上がろうとしなかった。
 「ああ何てこと!」女は呟いた。「皆さん、この薪を運んでください!」
 通りがかりの人々はロバの尻尾を引っ張り、起き上がらせようと耳に噛みついたりした。
 「死にそうだっていうのがわからんのか?」ついに一人の馬車引きが言った。それで皆はロバから手を放した。ロバは死んだ魚のような眼をし、鼻先は冷たく、皮膚には震えが走っていたのだ。
 女はその間、熱で顔を赤くしてうわごとを言っている息子のことを考えては、口籠りながら言った。
「どうしたらいいの? どうしたらいいの?」
「もしロバを薪全部と一緒に売ってくれるなら、五タリーやろう。」車の荷が空になっていた馬車引きは言った。そして女が目をみはってじっと彼を見つめると、こう付け加えた。「買うのは薪だけだがな。ロバに何の値打ちがあるんだ!」そして彼は死骸に蹴りを入れた。それは皮の破れた太鼓みたいな音を立てた。
(了)

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井上孝夫

Author:井上孝夫
多言語の学習・研究、多言語読書を長年続けています。著書に新潮新書『世界中の言語を楽しく学ぶ』『その日本語、ヨロシイですか?』あり。マンガ・イラストの別ブログ「スケッチ貯金箱」もやっています。

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