人称活用の消滅について

 中国の少数言語サラール語の文法をまとめていて、気づいたことがある。
 この言語には、動詞の人称活用が存在しない。どの人称でも同じ形である。主語が「私」でも「あなた」でも「彼(女)」でも、またそれぞれの複数形が主語でも、動詞の形は同一である。時制などによる変化は存在する。
しかしこの言語はチュルク語派である。一般にチュルク語派は人称活用を持っている。ところがサラール語と西武ユグル(裕固)語、つまり中央アジアのチュルク語派分布の東端にある2つの言語が人称活用を失っているのである。
これはどういう理由によるのだろう。
同じような現象が他の語族にも散見される。例えばドラヴィダ語族のマラヤーラム語。ドラヴィダ語族が人称活用を一般に有する(日本語の源流だという説があるタミル語にさえも)のに対し、マラヤーラム語はそれが一つの形になり、人称の別を失っている。
もっと身近な例は、英語だろう。わずかに3人称単数の現在時制に-(e)sが付き、単数と複数の区別があるくらいで、人称活用はすり減りかかっている。北欧のゲルマン語派(スウェーデン語・ノルウェー語・デンマーク語)でも人称活用は古形を除いて消滅しかかっている。
しかしこれらの散発的現象に関連があるとは思えないから、似たような現象を起こす原因が何かあるのだろう。人称活用を持つ場合と、それが消えた補償として人称代名詞の提示が原則的義務化した場合との、効率性というか、負荷の大きさの大小によるものだろうか。
人称が単複合わせて6つあると仮定しよう(この場合、双数は除外して考える)。単純に現在・過去・未来の3時制があるとすると、人称活用があれば6×3=18の動詞変化を覚える必要がある。人称活用が無ければ同士は3つの形、それに組み合わせる人称代名詞は6つ、組み合わせ18で同じだが、語形としては9つ覚えていればよいわけだからより楽、ということになる。人称活用がある場合でも人称代名詞を示すことはあるので、それを加えれば24の語形を駆使しなければならない体系はやはり不利ということになるのだろうか。
もちろんこんな単純な比較だけでは結論できないだろう(人称変化を保持し続けている言語はたくさんあるわけだから)。しかし、変化する必要が出てきたとき、こういう要素は何かの作用を及ぼす、ということも考えられるのではないだろうか。
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井上孝夫

Author:井上孝夫
多言語の学習・研究、多言語読書を長年続けています。著書に新潮新書『世界中の言語を楽しく学ぶ』『その日本語、ヨロシイですか?』あり。マンガ・イラストの別ブログ「スケッチ貯金箱」もやっています。

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