新年にあたって思うこと

 年が改まったからといって、格別新たな事を始めようとは思っていないが、多少の方向転換は考えている。
 多言語読書の基準をちゃんと考えなくては、と以前から考えている。別に世界文学や色々な言語の文学表現について他人に講釈をするために読んでいるのではなく、ひたすら自分の人生や知的好奇心にとって栄養になるような「味わい」を自分で感じ取るために行っている事である。外国語だからそう速くは読めない。しかしカバーする範囲は異常なほど広い。だから読む材料を厳選しなくてはいけない。そのためには「どういう性質のテキストを選ぶのか」、その基準を考えなくてはならない。
 今までは何となく「有名な作品に直接触れる」という基準で読んでいたが、有名な作品でも自分の感性では掴みきれないもの、というのは正直たくさんあるだろうと思う。それはどういうものなのか、きちんと考えるべきだろう、ということに気づいた。
 考えてみると、「振りの大きな」作品、例えば英雄譚とか歴史巨編だとか、社会問題を大きな視点から捉えた作品などは、あまり自分は得意ではない。どちらかというと、「スケールの小さな」作品がいい。平凡な人々の、それでも普遍的な人生の喜び悲しみを感じさせてくれるものを、いろいろな言語で、いろいろな社会状況の舞台において見てみたい。
 これはどちらかというと、近代的というのか現代的というのか知らないが、きっと現代人的な好みなのだろう。自分も歴史的制約の中で生きているので、仕方のない事だと思う。
 とりあえずずっと読み進めていたホメロスの『イーリアス』は中断して、古典ギリシャ劇を少し読んでみようと思っている。神々や英雄たちの戦いよりも、もっと卑小な人間の喜怒哀楽を味わうことを選んでみたい。ホメロスの神髄は結局掴めていないが、そのギリシャ語の感触は少し感じ取れたので、それで良しとするしかない。
 今後もこのように、途中で打ち切る作品も出るのは止む無し、と考えたい。一度はどういうものかという感触を得るために読み始めても、「やはりこれは縁が無い」と思ったら、勇気を以て撤退することにしよう。どのみち神様ではないのである。全てを知ることはできないし、その必要も無い。残された人生で精一杯、自分にとって良きものに触れられればそれでよいのだと思う。「有名な作品」に触れてみる、というのは完読を必須と考えなければ、知的好奇心を満たすためにある期間やってみればよい。その方が自由でいいと思う。
 新年にあたり、こんな取りとめもない事を考えている。
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プロフィール

井上孝夫

Author:井上孝夫
多言語の学習・研究、多言語読書を長年続けています。著書に新潮新書『世界中の言語を楽しく学ぶ』『その日本語、ヨロシイですか?』あり。マンガ・イラストの別ブログ「スケッチ貯金箱」もやっています。

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