困ったこと

今日の朝刊に、文化庁が異なる漢字だが訓が同じ「異字同訓」の使い分け例を、意味の違いも明記して新たに発表したとして、「香る」と「薫る」、「沸く」と「湧く」などの使い分け例が表示されていた。
困ったことをするものだ。民間の編纂する辞書にでも任せておけばよいものを、こんな細かな使い分けが、さも絶対の規準ででもあるかのようにお上から示されたら、またぞろ「漢字使い分け病」や「表記統一病」の患者が増えるだろう。意思疎通に差し障りが無い限り、日本語は日本国民が好きなように使えるようにすればよいものを。「仮名表記や異なる使い分けを否定するものではない」としているが、このような例示をすること自体が事実上の強制力を発揮するものなのである。
辞書が(小さな簡便な辞書ではなく、可能な表記を多く取り上げている「読むための」辞書。例えば「新明解」や「広辞苑」、「大辞林」、「日本国語大辞典」など信頼性の高いもの)認めている表記であるなら、また、それらのうち同一項目の異表記として複数の表記を認めている辞書が一つでもあるなら、統一だの厳密な使い分けなどに神経をすり減らすのは馬鹿げたことである(教科書や辞書、新聞などは除外する)。
むろん、内容理解に差し障りのある表記の乱れ(登場人物名だの、テーマに関わる重要語〔何度も出て来るような〕)の統一は必要である。しかしそれ以外の語にまで裾野を広げたらきりが無い。椎名誠さんが、ニュアンスの違いで使い分けていた表記を勝手に統一されたと言って怒っている文章を読んだことがあるが、尤もなことである。
私などはロートルの校閲者だからもういいけれども、若い校閲者は大変だ。どうしてもフリーの校正者が気にして(一旦気にしたら、それを押し殺すのは至難の業だ、ということも分るが)、こういった使い分けの疑問を出して来るだろう。著者との間で板挟みである。自分なりの信念を持って処理しなくてはならないだろう。大事なのは、こういった統一などに気をとられて、重大な事実誤認や論理の破綻・矛盾、問題表現などを見逃すことがないようにするということである(同時に全てをチェックする、など、実際は不可能である)。

とはいうものの、昨今の出版業の不振を見ていると、校閲という職業が存続するのだろうか、という危惧も正直抱かざるを得ない。しかし明治時代などは、校閲専門の人間など、恐らくほとんどいなかったのではないかと思われるので(明治時代の新聞などを見ると、恐ろしいほどの誤植が平然と放置されている。ある意味大らかなものである)、その状態へ原点回帰するということになるのかもしれない。
 朝からいやなニュースを見てしまって、思わず書いてしまった。
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テーマ : 思うこと
ジャンル : 学問・文化・芸術

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井上孝夫

Author:井上孝夫
多言語の学習・研究、多言語読書を長年続けています。著書に新潮新書『世界中の言語を楽しく学ぶ』『その日本語、ヨロシイですか?』あり。マンガ・イラストの別ブログ「スケッチ貯金箱」もやっています。

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