「舟を編む」を見る

三浦しをん原作の映画「舟を編む」を見てきた。
私のしている仕事(校閲)に近い辞書編集の話なので、大変面白く拝見した。
細々とした感想を述べても仕方ないので、一つだけ気になったことを。
主人公の若き辞書編集者、馬締光也(まじめ・みつや)は「大学で言語学を学んだ変人」という設定になっている。
少しショックを受けた。言語学をやっている人間は世間一般から見て「変人」のイメージがあるのだろうか。
私などは、フランス文学や英米文学を専攻している人に変わった人が多くて、それに辟易した常識人が「普通の人の使う言葉」に惹かれて言語学を志す、という流れを自然に感じていたので、ちょっと「それはないよな。」と思ってしまったのだが、もしかすると、普通の人の使う言葉はコミュニケーションの「道具」に過ぎないのだから、その道具自体を研究するなど変わり者だ、ということになっているのかもしれない。
私などは、普通の人の使う言葉がしっかり基礎として存在している上に、「文学」や「文化」が花開くのだと信じているのだけれども、華々しい成果を見せることもない「普通の言葉」に興味を持つのはやはり少数派、ということかもしれない。
昨今言語学が衰退しているように見えるのは、こういう「成果第一主義」みたいなものが影響しているのかもしれない。これは人文科学一般に言えるのかもしれないが。
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テーマ : 映像・アニメーション
ジャンル : 学問・文化・芸術

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No title

文学の場合、普通の人が趣味として読むものの延長にあるので、文学研究も理解可能な範囲と思われているのでしょう。実際には文学研究を仕事にしている人は、かなりの奇人変人であるケースが多いんですけどね。

類は友を呼ぶと言いますが、言語好きのまわりには言語好きが集まるみたいで、言葉の話になると盛り上がる友人が多いのはありがたいことです。しかしながら、一般人(?)の間ではあまり言葉の話題に熱中すると奇人扱いされそうなので、ちょっと控える傾向があります。

やっぱり言語好き=変人という図式が、世間にはあるようです。私自身は、変人である自分を楽しんでいるところもあります。馬締くんの足元にも及びませんが、同類のはしくれとしてこういう男性には好感が持てます。

No title

そうなのかもしれませんね。
言葉それ自体に興味を持っているということは、もっと普通のことかと思っていました。
言葉が人を引き付けることそのものが、多面的要素を持っているのでしょう。
少し勉強になりました。
プロフィール

井上孝夫

Author:井上孝夫
多言語の学習・研究、多言語読書を長年続けています。著書に新潮新書『世界中の言語を楽しく学ぶ』『その日本語、ヨロシイですか?』あり。マンガ・イラストの別ブログ「スケッチ貯金箱」もやっています。

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