イタリア語作文

久しぶりにイタリア語の作文をして
先生にチェックしてもらいました。
微調整で済んだので、それを訂正してここに掲載したいと思います。
下に日本語訳を示します。
どちらも自分が書いたものなので、著作権のことを考えずにすむのは気楽です。
「学生時代で一番幸福だった時」という課題でした。


LA MEMORIA D’ESTATE


Solevo giacere, nel pomeriggio d’un giorno di piena estate, con la testa poggiata su una mano, immaginando il mare blù, mentre guardavo il cielo azzurro senza nuvole.
Soffiava una leggera brrezza, portando l’odore fioco delle fronde fitte fitte che tremolavano nel vento d’agosto.
C’era qualche musica leggera, musica pop americana o europea, oppure brasiliana, non ne sono certo, comunque riposante, nella stanza dove io, uno studente di scuola media, passavo quel pomeriggio.
Non avevo nessun programma di viaggio, perché il mio babbo e la mia mamma dovevano lavorare tutti i giorni, e la mia famiglia non era tanto ricca da poter viaggiare tutti insieme.
Ma non posso ricordare, neanche adesso, nessun giorno più felice di quello di cui io ti ho parlato.
Perché?──Non lo so. La felicità, forse, non consiste nei soldi, ma in un certo stato dello spirito.
I miei giorni di scuola sono oggi tutti lontani. Le mie memorie sono già poco chiare. Ma stranamente, queste cose quotidiane e banali mi vengono, di quando in quando, in mente.


夏の記憶

 真夏の日の午後、私はごろりと横になって、片手で頭を支えながら、雲一つない空を眺めつつ、青い海を想像していることがよくあった。
 微風がそよぎ、八月の風に揺れる濃い緑のかすかな匂いを運んできた。
 軽やかな音楽が流れていた。アメリカン・ポップスかヨーロピアン・ポップスか、それともブラジル音楽か、定かではないが、ともかく心安らぐ音楽が、中学生だった私が午後を過ごしていた部屋の中に聞こえていた。
 旅行の予定など無かった。なぜなら私の父も母も毎日働かねばならず、私の家はそろって旅行できるほど裕福ではなかったからだ。
 しかし、今となっても思い出せないのだ。今話したその日よりも幸福な日を。
 なぜか?──それは分らない。幸福というものは恐らく、金銭に存するのではなく、精神の或る種の状態にこそ存在するからなのだろう。
 私の学生時代などというものは、今となっては遥か彼方である。記憶もおぼろである。しかし、奇妙なことに、こういった日常的な、ありふれた事柄が、時折私の頭に蘇ってくるのである。
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テーマ : イタリア語
ジャンル : 学問・文化・芸術

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プロフィール

井上孝夫

Author:井上孝夫
多言語の学習・研究、多言語読書を長年続けています。著書に新潮新書『世界中の言語を楽しく学ぶ』『その日本語、ヨロシイですか?』あり。マンガ・イラストの別ブログ「スケッチ貯金箱」もやっています。

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