グロービッシュについて

最近「グロービッシュ(globish)」という言葉が喧伝されている。
これは、英語を母語としない話者(ノンネイティブ・スピーカー=非ネイティブ、と略す)が、
英語を自分たちの分りやすいような形にしてコミュニケーションを取るケースが増えてきて、
その言語をEnglishではなく、global English=globishと称しているものである。
私も『世界中の言語を楽しく学ぶ』の中の「心にかかる言語たち」というコラムの「英語」欄で、
似たような考えを述べていたので、ああやっぱりそうなって来たな、と思った。
そのコラムでは international English=interlishという名前を付けたが、
まあ同じようなネーミングと言ってよいかと思う。
しかしこれは私に先見力がある、などという大層な話ではなくて、
常識的に考えれば分ることであった、というに過ぎない。
そもそも自然言語というものは、膨大な慣用の累積に基づくきわめて不規則なものであり、
非ネイティブが完璧にこれを身に付ける、というのはまず不可能なものである。
それをそのまま、自らは言語を簡略化しようとする何らの努力もせず、経済力やら軍事力を楯にして、他民族に押し付けようとしても、失敗するのは目に見えている。
一方、言語を改変することは非ネイティブにも容易、というか、
非ネイティブであるがゆえによりドライに「使いやすく」変えることができるのである。
それはネイティブには非情に不愉快なことが多いだろうが、使用を止めさせることはできない。
(ベトナム人とチベット人が、文法・語彙のおかしな英語の変種を使ってコミュニケーションしたって、本人たちがそれで十分意思疎通できるのだったら、英米人があれこれ口を出す筋合いのものではないだろう。)
非ネイティブが創った表現も、それを大目に見るというレベルを超えて、ネイティブに一部に受けて採用され、元々の言語の方も変化していく、ということもありそうである。
言語というものは、実に融通無碍なところがあって、いくら権威や規範で押さえつけようとしても、
使う人間が、「こっちの方がいい」と思えば情け容赦なく変わっていくものである。
自らの言語を世界言語に提供する、というのは、
そのような改変すら清濁合わせて飲み込む器量を要求される、ということでもあるのだ。
(なにしろどんな大言語でも、世界全体から見れば、非ネイティブの方が圧倒的に多いのだから。)
中国語やフランス語も自らの言語輸出に熱心だが、行き着く先は同じことである。
中国語が世界語になるには、膨大な外来語を容易に取り込むために、漢字だけでなく、
アルファベットも通常表記として取り入れる必要があるだろう。
漢字の音訳では、怒涛のような外来語流入を捌ききれないだろう。
また孤立語特有の語順も非ネイティブによってかなり滅茶苦茶にいじられることも予想される。
四声の発音なども大いに乱れることであろう。
これをどんなに脅してきちんと使わせよう、としても無駄である。
非ネイティブの殆どは、その場の用が足せればそれでよいのであり、
言語が乱れる、けしからん、という感情は、非ネイティブには無縁だからである。
要するに、自然言語そのままでは、決して世界語にはなり得ない、ということである。
しかし、エスペラントのような人工言語も、また世界語になるのはどうやら難しそうである。
理論的にはそれがベストではないかと思うが、支配的国家の国民が自国の言語以外の学習に
労力を割くようになるとはどうも考えにくい。
人間は易きに流れるもので、どちらも学ぶ人間の怠惰というものが邪魔をして世界語の形成に至らない。
もしかするとこれはバベルの塔を許さない、という神の意思なのかもしれない。
そのために、人間に多くの怠惰と不完全な言語習得能力を与えたのかもしれない、と思ったりする。
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テーマ : 言語学・言語論
ジャンル : 学問・文化・芸術

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プロフィール

井上孝夫

Author:井上孝夫
多言語の学習・研究、多言語読書を長年続けています。著書に新潮新書『世界中の言語を楽しく学ぶ』『その日本語、ヨロシイですか?』あり。マンガ・イラストの別ブログ「スケッチ貯金箱」もやっています。

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