エドワード・サピア『言語』

言語学者エドワード・サピアの『言語』(岩波文庫)を今読んでいる。
学生時代も原典をちらと眺めたことはあるが、きちんと読んではいなかった。
この文庫もずいぶん前に買ったのだが、部分的に拾い読みする程度で、
真剣に読み込んではいなかったのだ。
だが最近、少数言語を学ぶ機会がまた増えたこともあり、
言語の系統・分類といったことに改めて興味を覚えつつあるので、
新たな関心で読み進めているところである。
特に今、この本の4~6章あたり、言語の形式および類型を扱った部分に
興味を覚える。
ここには言語の構造に関わる実に深い思索が述べられていて、
この著作の「核」であると同時に、
これを理解するには、読者側にも、
言語知識の準備が相当ないとかなり手ごわいものとなる。
北米先住民の言語は専門的すぎて(しかしこれらの言語を研究したからこそ
言語の類型へのパースペクティヴが開けたのだろう)、サピアの説明を読み込むしかないが、
その他でも全世界の多くの言語へ言及があり(問題の性質上、そうせざるを得ないのだ)、
サピアの、言語の本質を追求する知性の、震えるような手探りの感触が感じられて、
大いに共感すると共に、その天才を認めざるを得ない。
多少は疑問に感じた部分も無くは無いのだが
(古典チベット語と近代チベット語を峻別しているらしい所〔特に近代チベット語の定義が良く分からない。純粋に音声的観点から述べていると思われるが、ラサ方言、と取ってよいのか。また、スペリングに残る古典語の影は全く無視してよいのか。〕
そして、中国語のような、一般に孤立語とされている言語の分類は本当に正しいのかどうか、についても考察が欲しかった。音的な接着度の少ない音群の各々は、機械的に独立した語と認識してよいのか。殆ど接辞的な機能を果たしているものも多い(~的、~了、~着、~得など)のではないか。それを接辞と解釈はできないのか、などなど)、
しかしそれは無い物ねだり、というもので、
ことの本質を掴むという大業を筆者がしている時に、瑕疵(かどうかも分からない)を云々するのは
読者としての礼儀に反するというものだろう。
とにかくじっくり読み返してみたいと思う。
いずれ、そのことについて書くこともあろうかと思うので。
それにしても、こんな著書が90年も前に出ていたとは。



スポンサーサイト

テーマ : 言語学・言語論
ジャンル : 学問・文化・芸術

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

井上孝夫

Author:井上孝夫
多言語の学習・研究、多言語読書を長年続けています。著書に新潮新書『世界中の言語を楽しく学ぶ』『その日本語、ヨロシイですか?』あり。マンガ・イラストの別ブログ「スケッチ貯金箱」もやっています。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード