言語の系統とは

ホジェン語の文法を続けていたら、
所有代名詞のところで面白い発見があった。
どういうことかと言うと、独立した所有代名詞(所有形容詞)と、
接尾辞としてのそれとを同時に使うのである。
これはトルコ語などと同じ現象だ。
トルコ語でbenim kitab-ım(私の本)と言う時、
benimも-ımも「私の」という意味で、英語に直すなら
my book-myといった形である。ただしトルコ語では独立形と接尾辞は形が違う。
(また、benimは略しても良い。)
ホジェン語でも同じような現象が見られる。
先般、「トルコ語を含むチュルク諸語と、ホジェン語やモンゴル語・日本語等を含む極東アジアの諸言語は、動詞の人称活用の有無という点で明確に違いがある。」と述べたばかりだが、所有代名詞については、これが当てはまらない。
日本語や朝鮮語ではこのような現象は無い。モンゴル語は上記のように重なる現象は無いと記憶するが、
格語尾と再帰所有接辞(「自分の~」)が連続する、などといった、日本語の感覚からは離れた現象が存在する。
そうすると、これらの言語の文法現象による線引き、というものも考え直さなくてはならないかもしれない。
というよりも、そもそも言語をグループ分けする時の基準、というものが曖昧であることが問題なのだろうと思う。
通常、共通の「基礎的語彙」がどれくらいの割合で存在するか、その音対応はどうか、
などといった基準が使われているのかと推測するが、
そのパーセンテージによって、「同系統」であると本当に証明できるのか、
また、それによってしか系統は証明できないのか、いささか疑問に思う。
話は少し飛ぶけれども、タレントのルー大柴さんの「ルー語」というのがあって、
「犬も歩けば棒に当たる」を、
「ドッグもウォークすればポールにヒットする」などと言ってギャグにしていたが、
仮にこのような言語が本当に存在していたとしたら、どういう系統の言語と判断されるのだろう。
かなりの割合で英語と共通語彙があるのだから、英語と同系統と判断するだろうか。
しかしどう考えたって、これはベースが日本語である。
具体的な意味合いを表す語彙は、相当の割合で入れ替え可能であることをこの例は示していないだろうか。
文法的骨格の方が、言語の本質ではないのか、という気もしてくる。
しかし上記のトルコ語とホジェン語の例を考えると、その「文法的骨格」というものも、
時には交替や取り込み可能なのかもしれない、と思えてくる。
そうなると、いったい何をよすがに「系統」などということを考えたらよいのか、訳がわからなくなる。
いずれにせよ、極東アジアの近距離圏内に、
かなりの類似性を持ちながら、お互い独立した系統とされる言語が多数存在する、
その事態そのものが、言語の系統分類の基礎的基準の不備を表しているように思われてならない。
逆に言えば、インド、メソポタミア、ヨーロッパという大文明圏にまたがり、
数多くの文献を備えて、歴史的研究も比較的容易であった印欧語族の通時言語学というものが、
いかに幸運な学問であったか、ということが分かるのである。
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テーマ : 言語学・言語論
ジャンル : 学問・文化・芸術

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井上孝夫

Author:井上孝夫
多言語の学習・研究、多言語読書を長年続けています。著書に新潮新書『世界中の言語を楽しく学ぶ』『その日本語、ヨロシイですか?』あり。マンガ・イラストの別ブログ「スケッチ貯金箱」もやっています。

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