「話す」って何?

 今朝の新聞に、外国語教育に関する留学生の意見が掲載されていた。
 話す授業に重点を置け、意志疎通力が重要だ、という意見である。よく聞く意見ではあるのだが、こういう時によく口にされる「話す」というのが、具体的にどのような内容を話し合えるイメージなのか、いつも疑問に思うのだ。
 一人の意見は、言語はコミュニケーションの手段なのだから、実社会ではお客さんなどと意志疎通することが大事だ、ということがベースになっている。
 これは要するに、究極の目的は商売とか実利(旅行で困らないように、などということも含む)であり、外国語の知識はそれに奉仕すべきものだ、という意見である。世の中の大勢はこちらであろう。
 こういう意見の人々は、人生や社会問題その他について、外国人と突っ込んだ話をするなどということについてはどう考えているのだろうか。このレベルで(微妙なニュアンスなども含めて)話をするには大変な努力が必要になると思うが、そこまで努力することは必要ないと考えるのだろうか。それともやっているうちに自然に慣れて、そのレベルまで達するものと思っているのだろうか(私は、それはちょっと甘いと思う)。
 もう一人の意見は、日本の大学教育では読む訓練ばかりで話す練習をあまりしない、読み書きと聴き取りは一人でも練習できるのだから、練習相手がいる授業では話すレッスンに重点を置くべし、というもので、これはバランスの取れた意見であると思う。ただし「読む訓練」をみっちりやれるのは大学生時代くらいしか無い、とも思えるし、上に述べた情意を尽くした会話においては、読むことによって蓄積した知識や語彙、自分なりのはっきりした意見なども重要になってくるのだから、全てを大学の教育に求めるのは無理があるかもしれない。
 要するに「きっちり話す」ための組織だった(読み書きと会話双方を並行して上達させる)訓練の場、というものは存在しないので、本人が会話学校その他も含めて自覚的にやる以外にない、という結論になる。ビジネス用途の場合は、それなりに存在するだろうが。
 もっとも今私は実利(旅行会話)のために四苦八苦しているのだから、あんまり高いレベルの話をするのは気が引けるのだけれども。
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プロフィール

井上孝夫

Author:井上孝夫
多言語の学習・研究、多言語読書を長年続けています。著書に新潮新書『世界中の言語を楽しく学ぶ』『その日本語、ヨロシイですか?』あり。マンガ・イラストの別ブログ「スケッチ貯金箱」もやっています。

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