ルクセンブルク語、ヨルバ語にまつわる所感

 ルクセンブルク語の文法をまとめ終えた。
 比較的簡略な文法書だったから、少し頼りない(といってはせっかくの労作に申し訳ないが)と思っていたら、以前調べた白水社の「ニューエクスプレス」シリーズ中の『ヨーロッパのおもしろ言語』にたった3課分ではあるがルクセンブルク語のパートがあり、その録音が収められているのを思い出した。まだ聴いてはいなかったから、ちょっと楽しみではある。
 ヨルバ語は毎日電車で聴いているのだが、今一つしっくり来ない。ヨルバ語というのは、一種の孤立語で、各単語は語形変化をしないので、言ってみれば中国語などと似ていると概念的には言えるかもしれないが、実際は肌触りがずいぶん違う気がする。関係代名詞が存在するとか、代名詞3人称単数の目的格(him, her, it)が、動詞の最終母音と同じになる、などという中国語には無い現象もある。
 しかしそれよりも、何か語と語の組み合わさり方が違う、という漠然とした感じである。それが、この言語に入りこむことを妨げているような気がする。
 私はこの頃、言語というものは、フレーズこそが基本ではないかという考えに傾いている。人間が言語に出会う最初は、具体的な現実を述べるためのフレーズであり、それをいくつも覚えたのちに、比較・類推による言語分析を自然に行なうようになり、単語に行き着く。文法規則も、多くのフレーズの比較から自然に帰納される。
 そして分析を行う方向とは逆の方向、すなわちフレーズを総合する形で会話・コミュニケーションを成立させる。単語という原子を、文法規則というルールに従って組み合わせ、複雑な会話を行う、という迂遠な方法は不自然だと思う。
 そのフレーズという基本形において、中国語とヨルバ語は、その語の組み合わせ方が違っている、という感じが頭を去らない。
 思えば、孤立語・屈折語・膠着語・抱合語という昔からある言語のタイプ区分は、単語という単位をもとにして考えられたもののような気がする。
 フレーズ内の語の組み合わせ方に、どれほどの有意義なパターン差があるのか、はっきりしないけれども、全く研究されていないことだから、いずれその対象になることもあるかもしれない。
 物にはとてもならない語学学習でも、こんな副産物もあったりする。
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テーマ : 言語学・言語論
ジャンル : 学問・文化・芸術

プロフィール

井上孝夫

Author:井上孝夫
多言語の学習・研究、多言語読書を長年続けています。著書に新潮新書『世界中の言語を楽しく学ぶ』『その日本語、ヨロシイですか?』あり。マンガ・イラストの別ブログ「スケッチ貯金箱」もやっています。

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