「ペラペラ」とは? 「マスター」とは?

もう数年間、イタリア語の会話を習っていて、その学校のレベル分けでは「上級」ということになっているのだけれど、自分の実感としてはまだまだで、自在にペラペラと喋れているとは思えない。結構苦心惨憺で、出てこない表現もあるし、先生が会話に夢中になって早口で(ネイティブのノーマルなスピードで)話したりすると、時々ついていくのが大変だったりする。
世の中で「ペラペラ喋れる」とか、「マスターした」などというのはどの程度のことを言うのだろうか。もしかするとプロフェッショナルでも、日々冷や汗ものの経験をしているのではなかろうか、と思ったりする。
「イタリアに住んでいたんですか?」などと、他の日本人生徒から聞かれることがあるけれども、そんなに流暢に聞こえているのだとしたら、「ペラペラ」っていうのも結構怪しい感覚のような気がする。もちろん留学などしたことは無い。旅行だってフィレンツェに実質3日間滞在したことがあるだけで、実際の用は足りたけれども、その経験が学習にさほど役立っているとも思えない。あとは全て国内で、本とテープやCD、そして最近の会話レッスンで勉強したものである。私の境遇では、そんなところがせいぜいだ。
もうすぐ定年という年齢だから、会話の材料となる経験はそれなりにあるし、世の中の動きにも関心はあるので、もし流暢に聞こえるとしたら、とにかく「自分の言いたいこと」を、ぴったりの表現でなくとも(迂回させた言い回しでも)相手に伝えようとする技術が多少は身についたのかもしれない。
「アベノミクスをイタリア人はどう思っているんですか?」とか、
「携帯電話は嫌いです。自由になれる時間が無い感じで。」とか、
「『そのうちなんとかなるだろう』っていう言葉は好きですねえ。」とか、
なんとなくオヤジがかった内容を、ともかく伝わればいいや、という感じで話す。
Che pensano gli italiani di Abenomics?
Non mi piace il telefonino. Non mi sento libero con quello.
Amo la frase “Prima o poi sarà quel che sarà”.
といったような具合(もし言葉が浮かばなければ、別の言い方で済ませる)である。
私は語学における実用主義があまり好きではないのだが(仕事や生活で欠かせないのなら話は別)、「マスター」「ペラペラ」という言葉が、実はとてつもなく高い能力を当然の如く要求する、たいへん傲慢な表現であることに気づいていない人が多すぎると思っているからである。
もし、あなたの日本語を、たちどころに外国語に変えてくれる人がいたら、その労力と、それを可能にしている、彼ないし彼女の陰の努力に感謝しなくてはならない。
外国語会話は、やはり難しいものなのである。
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テーマ : イタリア語
ジャンル : 学問・文化・芸術

プロフィール

井上孝夫

Author:井上孝夫
多言語の学習・研究、多言語読書を長年続けています。著書に新潮新書『世界中の言語を楽しく学ぶ』『その日本語、ヨロシイですか?』あり。マンガ・イラストの別ブログ「スケッチ貯金箱」もやっています。

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