ルイジ・ピランデッロ「飛び跳ねる馬」(La Rallegrata) 3・完

   フォーフォと同じように、その朝、厩舎長のどなり声を聞いて、ネーロは想像した。飾り馬具、飾り結び、羽毛の房。四頭立ての馬車。まさに一級品だ。 
  「見たかい? 言ったろう?」
   ネーロは気がつくとフォーフォと一緒に轅(ながえ)に結び付けられていた。そしてフォーフォは、当然のことながら、いつ果てるとも知れない説明で彼をうんざりさせるのだった。
   しかしその朝はフォーフォもまた、厩舎長の横暴に辟易していたのだった。厩舎長はフォーフォをいつも後ろの轅に括り付けて、前の横木に繋いではくれないのだった。 
  「なんて嫌な野郎だ! だってな、お前も分かるだろうが、俺たちの前にいるあの二頭は見栄えをよくするためにいるんだぞ。奴らは何を曳いている? 何も曳いちゃいない。曳いているのは俺たちだ、こんなに静かに! 気取って歩いてやがるが、あれは着飾った格好で、脚をほぐしているだけのことさ。まったく、どんな役立たずを人が好むのか、この目で見なくちゃならんとはなあ! 分かるだろ?」
   それはフォーフォが、お医者馬、カラブリアの子馬と呼んでいたあの二頭だった。 
  「あのカラブリアのガキと来たら! お前さんはあいつが真ん前にいるからいいよな。お前さんも耳にするだろうが、あいつは耳だけが豚に似てるんじゃねえ。ありがたくも厩舎長様はあいつを守り、エサを二倍もやってるんだぞ。この世に生きるにゃ運が必要だってことだよ、洟水を飛ばすなよ。今から始めるか? 頭を動かすな。おいおい、そんなふうにしてたら、今日お前は何度も手綱をぐいぐい引っ張られて、口から血が出るぞ。いいな。今日は演説をやるんだそうだ。お祭り騒ぎになるぞ。演説が一回、二回、三回……演説が五回あったこともあったっけ! 頭がどうにかなっちまう。三時間もじっと立ち尽くして、こんなに上品を装って、息が切れちまう。足に枷をはめられて、尻尾は監獄に閉じ込められたみたいで、耳は二つの穴から立てたまま、尻尾の下を蠅に噛まれて。楽しいこった! 演説はどうだって? 何だかなあ! ほとんど分からないよ、実際のところ。上流階級の搬送というのは、ややこしくなきゃならないんだ。たぶん。そうやって演説することで説明してるんだろう。一回じゃ足りず二回、二回でも足りず三回。そしてついには五回もしてしまう、さっき言ったみたいにな。俺はその場にいたんだけど、もう右も左も蹴飛ばして、めちゃくちゃに地面を転げ回りたくなったよ。今日も同じだろうなあ。盛大な催し物だ! 御者がめかしこんでるのを見たかい? 召使いもいるし、大きな蝋燭立ても出るぞ。どうだ、お前は匂いに神経質か?」
  「分からない。」
  「おい、すぐに怯えちまうのかい? だってもうすぐ、火のついた蝋燭が鼻の下に差し出されるんだぜ。静かに、おい……静かにしろって! 何が怖いんだ? いいか? 一度引っ張られただけで……もう気分が悪いのか? 言っとくが、今日はそんなもんじゃ済まねえぞ。何してるんだ? 頭でもおかしくなったのか? 首をそんなに伸ばすんじゃない!(よしよし、いい子だ。泳いでるのか? ジャンケンでもしてるのか?)じっとしてろ……ああ、そうかい?じゃせいぜい怖がってろ……おい、気をつけろ、俺の口までもげちまう! おい、こいつ、どうかしちまったぞ! ああ、ああ、本当にイカれてる! 息を切らして、唸って、いなないて、足踏みして、何だこれは? おうい、飛び跳ねてるぞ、変だよこいつ、イカれてるよ! 上等の馬車を引っ張りながら、飛び跳ねてるぞ!」
   ネーロは見たところ、本当に錯乱していた。息を切らし、いななき、蹄で地を掻き、ぶるぶると震えていた。馬車から召使いたちが大急ぎで降りて飛びかかり、邸宅の玄関の前で押さえ付けなければならなかった。丈の長い服を着てシルクハットを被った紳士たちが群がり、あんぐり口を開けて立っている中で立ち止まらなければならなかった。
   ──どうしたんだ?──あちこちから叫び声が上がった。──おい見ろよ。霊柩車の馬が棒立ちになってるぞ!
   そして人々は大混乱の中、皆で馬車を取り囲み、興味津々で、気遣わしげに、驚き、かつ憤慨していた。召使いたちはまだネーロを制しきっていなかった。御者は立ち上がり、怒りに任せて手綱を引いていたが、無駄だった。ネーロは地面を蹴り続け、身震いし、首を邸宅の玄関に向けていた。
   ようやくネーロが大人しくなったのは、その玄関から制服を着た老従僕が突然現れ、召使いたちを引き離し、ネーロの手綱を取り、すぐにその馬がネーロだと分かって目に涙を浮かべて叫び出した時だった。
  「おお、ネーロだ! ネーロだ! ああ、かわいそうに、ネーロ、こんなになるのも無理はない! 奥様のお馬だもの! 哀れな王女様のお馬だもの! お屋敷が分かって、自分の馬屋の匂いを嗅いだんだな! かわいそうな、かわいそうなネーロ……な、分かるかい? わしだ……年寄りのジュセッペだ。いい子にしなさい、そう……かわいそうなネーロ、お前は奥様をお運びしなくちゃならんのだ、分かるだろ? お前の御主人様だ。お前の役目なんだよ、かわいそうに、まだ覚えているのにな。奥様も最後にお前に運んでもらって御満足じゃろう。」
   それから彼は御者に向き直った。御者は葬送行列会社がそれら紳士たちの眼前で繰り広げた失態に怒り狂い、手綱を激しく引っ張り続け、鞭を打つぞと脅し続けた。そして老僕に向かって叫んだ。
  「たくさんだ! もうやめろ! ここを取り仕切るのはわしだ。こいつは羊みたいに大人しいんだ。坐れ。この道中の間はわしがこいつを導いて行く。一緒に行こうな、な、ネーロ? 善良な奥様をお送りにな。静かに、静かに、いつもの通りに、なあ? 奥様を悲しませないよう、お前はいい子にしてなきゃいかんぞ、かわいそうなネーロ、まだ覚えているんだな。今、奥様は木箱に納められているところだ。今、下へお運びしているんだ。」 
   フォーフォは轅のもう一方に立って聞いていたが、ここに来て驚いて尋ねた。
  「木箱の中身は、お前の御主人様か?」
   ネーロは横から蹴りを入れた。だがフォーフォは新しい発見に夢中になっていて、怒りもしなかった。
  「ああ、それで俺たちは」彼は独りごちた。「それで俺たちは……なるほどなるほど……俺の言っていたことは、そういうことだったんだ。この爺さんは泣いている、他の時も泣いている人をたくさん見てきた……茫然とした顔をたくさん見た……物憂い音楽を聞いた……そういうわけで、俺たちの仕事はこんなに静かなんだ! 人間たちの泣く時だけ、俺たちは陽気になって、お互い元気を取り戻せるんだ……」
   そして彼もまた、飛び跳ねてみたい誘惑に駆られるのだった。

(完) 
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テーマ : イタリア語
ジャンル : 学問・文化・芸術

プロフィール

井上孝夫

Author:井上孝夫
多言語の学習・研究、多言語読書を長年続けています。著書に新潮新書『世界中の言語を楽しく学ぶ』『その日本語、ヨロシイですか?』あり。マンガ・イラストの別ブログ「スケッチ貯金箱」もやっています。

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