バッサリ切って書き直し。

 自前の文章をイタリア語に翻訳していて、とうとう普通の翻訳では処理できない部分に来た。書いた当時と現在と状況が変わりすぎていて、そのまま訳したのでは無意味になってしまう個所を訳さなければならない。こうなると思い切りバッサリと切り捨てるか、大きく書き換える、いやむしろ新たに書き起こすのに近い作業となる。主にインターネット関係と、語学教材の紹介の部分で、「うわあ、古くなったなあ」と我ながら思ってしまう。
 この点、自前の文章は楽だ。遠慮会釈なく文章を変える。もうイタリア語の自由作文みたいなものである。他人の文章なら改竄になるが、なにせ自分の文章なので著作権に気兼ねは要らないのである。
 比べるのもおこがましいが、『ロリータ』を書いたナボコフなどは自作を別の言語に直す時、やはり相当変更を加えたらしい。レベルは比べ物にならないが、私の場合も原理的には同様である。そうしないと、新しい言語の読者に不都合だからである。もっともナボコフの場合は文章の彫琢、という目的もあっただろうが。
 他の事もやりながらだから、1日に1時間も時間は割けない。ちょっとずつやるしかない。
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訳して分かったこと

実は今、自分の書いた本をイタリア語に訳しているのだが、これが結構大変である。
何が大変かというと、自分の文章の訳しにくさである。
日本語で文章を書くときは、文法を考えて書いているわけではない。日本人に分り易いように、ということしか考えていない。そういう状態で綴られる言葉は、何か野生動物のようで、翻訳するのにちょっとばかり腕力が要る。これがネイティヴの言語の一筋縄では行かないところなのだろう。そのことに、自分の文章を相手にしてはじめて気付いた。これはすごく良い勉強だ。なにか言語の本質に触れることをやっている気がする。時間は掛かるが、最後までやってみたいと思う。イタリア語の先生がチェックしてくださる。とても有り難い。スクールに行っていて本当に良かったと思う。「自分の書いた日本語を外国語に訳す」という発想は自分からはできなかったと思う。
しかし電子辞書というものがあって本当に助かった。デジタル化の最大のメリットの一つは辞書類のデータ化である。電子辞書を引きこなすにもテクニックがいろいろあるな、ということも今回のイタリア語への翻訳で感じたことだ。ネットの補完的利用も大いに意味がある。翻訳者にとって、デジタル化以前と以後では天と地ほどの違いがあるのであろう。

言語という偏見

 翻訳は本当に大変だ。原文の意味がほぼ取れても(これ自体大変なのだが)、それをいかに日本語という器に移すか、その作業に物凄く時間がかかる。
 言語は偏見の一種だ、と思う。混沌とした世界を、それ自体の尺度をもとに、切り取る。それを組み立てる。しかしそこからこぼれてしまう物も多い。だがそれにこだわっていては、世界は組み立てられない。だから、公平・客観的に世界を捉えている言語などは存在しないのだ。
 翻訳は、一つの偏見によって組み立てられた世界を、他の偏見によって組み立て直す作業である。不思議なことに、言語という偏見は、同時にきわめて柔軟なものである。どんな複雑な表現でも、ほぼそれに等しい対価物は見つかるのである。しかしそれには長い訓練と、忍耐と知力が要る。そのことは、自分で翻訳をしてみれば誰にでも分かることである。
 多言語学習は、より多くの偏見を学ぶ作業である。多くの偏見を知ることによって、特定の偏見から自由になる。そして、偏見の多様さが、人類の持つ精神的豊饒さにつながることを知るのである。一種のパラドックスと言ってもいい。
 まだしばらく翻訳に時間はかかるであろう。だが何でもトライしてみるものだ。いろいろなことに気付くのである。

ルイジ・ピランデッロ作 「ライン河のクリスマス」翻訳

 ルイジ・ピランデッロの短編集『一年間の物語』より、短編「ライン河のクリスマス」を翻訳しました。
おそらく本邦初訳だろうと思います(もし違ったらご容赦を)。
シチリアを舞台にした作品が多い中で、少し毛色の変わった作品です。
今回は、一挙掲載です。


ライン河のクリスマス

ルイジ・ピランデッロ 作
井上孝夫 訳


ローマ、一九一四年末

 「ママがね、」イェニーが大喜びで私の部屋に入って来て、手を打ちながら言った。「承知してくれたわ、あなたのために!」
 私はびっくりして、暖炉のある部屋の隅から彼女を見つめた。そこに一時間ほど前から寒さでちぢこまって、暖炉の熱い微風に両手両足を当てていたのだ。そして心は……ああ、心は時としてどこへ行ってしまうのか、活気を失った肉体の感覚とは切り離されて? その間、目はじっと物を見ているようで、その実何も見ていないのだ。
 「まあ!」すぐさまイェニーは、私の放つ寒さに凍りついたように再び口を開いた。「あなたまるでお爺さんみたい! まさか、雪が本当にここに降ってきたわけでもあるまいし!」
 そう言いながら、私の髪の毛をくしゃくしゃにした。
 私は彼女のこの上なく美しい両手を取り、自分の両手でしばし握りしめた。
「手を温めてやるよ、じっとして! お母さんが何を承知したって?」
「聖なるクリスマスをお祝いすることよ!」イェニーは叫んだ。部屋へ入って来た時の生気を再び漲らせて。そして私に両手を握られている困惑を隠しながら。「素敵なモミの木を買いましょう。背の高い……背の高い……たとえて言えば……」
「どんな?」私はますます強く彼女の両手を握りしめながら言った。
だが彼女は片手を外して、すぐに言った。
「こんな高さの!」
「素敵だね。きれいだろうな……」
「いやな人……こういうことに冗談は言わないものよ。こっちの手も放して……何を考えていたの?」
私は目を閉じ、肩をすくめて、鼻から長い溜息を吐いた。
 煙突の焦げた煙道を通して風の唸りが聞こえた。それとも本当は、ザンポーニャ(バグパイプに似た楽器)の緩んだような鼻にかかったような、それでいてリズミカルな音が、遥か遠くから聞こえているのだろうか? その音は、私自身の裡にある悲嘆の言葉から発しているのだろうか? それらの言葉は喉を締め付ける縺(もつ)れた塊を通って、唇より先に目から溢れ出るだろう。その遥か遠くのザンポーニャの音は、私の激しい憂愁の深い溜息で膨れ上がっているのだろうか? 私の前にある暖炉の火は、遥かなる我が故郷の広場で聖なる九日間の祈祷が粛然と行われる宵に、小祭壇の前に置かれるカラス麦の無数の束が燃やされる、その火ではないのか? 火打ち金がカチカチと鳴っているのか? 本当に、遠くでザンポーニャが鳴っているのか?
 時々起るように、いやむしろよくあることなのだが、この社会において我々は自分の魂の尊厳を恥じることがある。そうして或る羞恥心が、誤った羞恥心が、我々の心の奥底を、心優しき人に向かってさえ明らかにすることを禁じるのである。その心の奥底とはある種の感情であり、あまりにも甘美で、その繊細な純潔さのためにほとんど子供っぽく見えて、我々はそれらが嘲笑を以て迎えられるか、あるいはせいぜい、精神のきわめて特殊な状況下で我々の内に生まれたものとして、尊重もされずに終わるかもしれないだろうと疑うのである。それゆえ、私が何を考えているのかイェニーには言わなかったのだ。
 「この風の音を聞いていると苦しくなってくるんだ。」代わりに私はそう言った。「もう聞いていられない……。こんなふうに一日中、煙道のために部屋の中でうめいて……。そして晩になるとね、静けさの中でただ一人、耐えがたくなってくる……。
 「分かったわ!」イェニーはそこで椅子に手を掛け、言った。「私がそばにいるじゃないの、小言屋さん! さあさあ、暖炉にもう一つ木を入れて、私のために! 待って! ……私が取るわ。あなた、服を着込んでるから……さあいいわ! だからママが承知してくれたんだってば! もう二年間も、うちではクリスマスをお祝いしてなかったんだからね。今年は、その穴埋めをするんだわ。子供たちがどんなに喜ぶか考えてごらんなさい!……
 イェニーが言っている子供たちとは、彼女の異父姉妹たちだった。L***家では、イェニーの母であるアルヴィーナ夫人の二番目の夫が痛ましい死を遂げてから、服喪の印として家でクリスマスを祝わずにいたのである。L***・フリッツ氏は乱脈を極めた生活の後、ライン河の右岸にあるノイヴィートの町で、リボルバーでこめかみを撃ち抜き自殺したのである。イェニーは家族の一連の愁嘆場に続けて、この自殺についての残酷な詳細を私に何度も語っていた。そして義父の姿や態度を説得力をもって描写したものだから、私は彼を知っていたような気になっていた。私は恐ろしい目的を実行するために彼が赴いたノイヴィートから妻に出した最後の手紙を、すでに読んでいた。これほど美しく真摯な、惜別と悔恨の言葉を読んだことがなかった。世間では、ノイヴィートはライン河沿いの地域の中で、他のどの地点よりも日の出が美しく見られると言われている。《私はあらゆるものを見てきたし試してきた、》夫は妻に書いていた。《ただ一つのものを除いて。四十年の人生で、未だかつて日の出を見たことがないのだ。明日、河岸からその光景に立ち会おう。この上なく静謐な夜が私に約束してくれる光景に。太陽が昇るのを見て、その最初の輝きのくちづけを浴びながら、わが人生を閉じようと思う。》
 「明日ツリーを買いましょう……」イェニーは続けた。「桶が屋根裏部屋にあるわ。その中に色つきの小さなランプやカラフルな飾り付けが、が最後にそこに置いたままになっているはずよ。だって、ツリーはね、毎年クリスマス・イブに彼がそっと、下の食堂のそばの部屋に飾り付けたんだもの。子供たちを喜ばせるにはどう飾り付けたらいいか、本当によく分かっていたわ! 年に一度、こういった晩にだけ、良いパパになったの。」
 イェニーは想い出に心をかき乱され、私の安楽椅子の肘掛に額を載せて顔を隠そうとした。そして沈黙しながらも、明らかに祈っていた。
 「可愛いイェニー!」私は胸を衝かれ、彼女のブロンドの髪に手を置いて言った。
 祈りから再び立ち上がると、彼女の目には涙が溢れていた。そして新たに私のそばに座りながら言った。
 「聖なる夜が近づいているのだから、私たち皆、善き人間になりましょう。そして赦(ゆる)しを与えましょう! 私も善い人間になります。彼が私たちをこんな状態に追い込んだのを赦せないといつも言っていたけれど。その話はもうやめましょうね! だから明日は、ねえ、聞いて。まず近所のR***さんのお宅へ行って、庭の砂をエプロン一枚で運べる分もらってきて、桶をその砂で一杯にして、そこにツリーを差すの。そして次の朝早く、子供たちがベッドから起きてくる前に運んでもらう。子供たちは何も気付かないでしょう! それから私たちは一緒に出掛けて、お菓子や、ツリーの枝に吊り下げる何でもないプレゼントや、林檎やクルミを買いましょう。R***さんが温室から摘んできた花をくれるわ……。きっとあなたにも分かるわ、私たちのツリーがどんなに美しくなるか……。あなた、うれしい?」。
 私は何度もうなずいて、うれしいよと答えた。イェニーは立ち上がった。
 「じゃあこれで、私行くわ……また明日ね! そうしないと、お隣さんが私のことを変な風に思うから。ね、そこの部屋でその人、私があなたの所へやって来たのに聞き耳を立てているのよ……」
 「パーティーに奴(やつ)も来るっていうのかい?」私はむっとして尋ねた。
 「まあ、そうじゃないの! あの人はお似合いの連中とバカ騒ぎしに出かけるわ……。さようなら、また明日ね!」
 イェニーはそっとドアを閉め、爪先立ちでそそくさと帰って行った。そして私は再び物悲しい思いに耽り、それは耐え難い哀れな叫び声が、私を暖炉の一角から遠ざけるのをやめた時まで続いた。私は窓のそばへ行き、指でガラス窓の曇りを拭い、外を眺めた。雪が降っていた。まだ、渦を巻いて、雪が降っていた。
 そうやって曇り窓の透き通った部分を通して外を眺めていると、突然、幼い頃の思い出が蘇ってくるのだった。まだ物事を信じやすい子供だった私が、クリスマスイブに、プレゼーペ(キリスト降誕を人形で表現した模型)に飽き足らなくなって、こんなふうに外を窺っては、神秘に満ちたこの空に、おとぎ話にでてくるお告げのほうき星が、本当に姿を現しはしないかと思っていたことが……。

                 *

 翌日、私たちはパーティー用に聖なるツリーを買い、屋根裏部屋に上って、飾り付けのうちどれくらいのパーツがまだ使えるのか、新たに買いに行く前に見ようとした。
 三年前の古いツリーは骸骨のように干からびて、暗い片隅にあった。
 「これよ。」イェニーは言った。「これが、彼が飾り付けた最後のツリー。これは彼が置いた所にそっとしておきましょう。そうすれば、このツリーはヨハン・クリスチャン・アンデルセンが書いたクリスマスツリー(アンデルセンが書いた童話「もみの木」の主人公)のような運命は決して辿らずにすむわ。切り刻まれて、大釜の下で最期を遂げるようなことはなくなるの。これが桶。見て、一杯になってる。湿気でガラス球や豆ランプが輝きと色を失くしていなければいいんだけど。」
 どれも良い状態だった。
 その後、私とイェニーはおもちゃとお菓子を買いに揃って出かけた。
 歩きながら私は考えた。厳しい寒、霧、雪、風、自然の侘しさなどは、この地のクリスマスという祝祭を、我々の故郷におけるそれよりもっと落ち着いた、深味のある、さらに甘美な憂愁を伴った詩的で宗教的なものとすることに、なんと貢献しているのだろうか、と。
 夜、子供たちが床に就くとすぐに、食堂脇の部屋を片付けて、私とイェニーはメイドに言いつけて桶を降ろして来てもらった。それを部屋の隅に置いてツリーの幹の周りを砂で満たした。
 夜遅くまで私たちはせっせとツリーを飾り、ツリーの方もこの飾り付けに満足して、愛情の込もった世話に感謝して身を任せ、金色や銀色の紙のネックレスや、リボンと飾りの束、小さな球や豆ランプ、お菓子の小さなバスケット、おもちゃ、そしてクルミを支えようと枝を伸ばすのだった。
 《だめだよ、このクルミは、だめ!》ツリーはたぶん、そう思っていただろう。《このクルミは僕のものじゃない。これは他のツリーのフルーツだよ。》
 初心(うぶ)なツリー君! 君は知らないだろうが、これが我々の普通のやり口なんだよ、自分の物でもない物で、わが身を飾るのがね。良心の咎めも無く、往々にして、他人の汗の結晶を横取りするのさ……。
 「待って! ほうき星が!」ツリーの飾り付けがすっかり済んだところで、イェニーが叫んだ。「ほうき星を忘れてた!」
 私は脚立を使って、ツリーのてっぺんに銀の紙の星をくっ付けた。
 私たちは長いこと自分たちの作品に見惚れた。そして明日夜になるまでは、飾られたツリーを誰も見ないように、部屋の出口に鍵を掛けた。寒さと徹夜と疲労の見返りとして、母の賞賛と子供たちの喜びを目にするのを楽しみにしながら床に就いた。
 それなのに……。ああだめだ。一生懸命働いたイェニーのためにも、哀れな子供たちのためにも、アルヴィーナ夫人は涙を流してはならなかった。それなのに彼女は、その花の絨毯の上に照らされた輝くツリーを目にして、泣き出したのである!
 イブの昼食はうまく運び、最後まできちんと給仕された。プラムケーキや茹(ゆ)で栗(ぐり)を詰めたガチョウも出されたのだ! その後で、子供たちは部屋のドアの後ろに並ばされた。そこにはクリスマスツリーがそびえ立っていた。子供たちは、冷えた小さな手を合わせてお祈りの形にし、この上なく甘く愁いに満ちたコーラスを始めた。

Stille Nacht, heilige Nacht……(シュティレ・ナハト、ハイリゲ・ナハト……)
〔静(しず)けき夜、聖(きよ)らなる夜……〕*

 私自身のためではなく他者のために飾り付けたあのクリスマスツリーを、そして涙で幕を閉じたあのパーティーを、私は絶対に忘れることはないだろう。私の目から決して拭い去られぬもの、それは母の服にしがみつきながら「お父さん、お父さん!」と切なく父を求める三人の遺児たちの姿、そしてその間も、たくさんのおもちゃを身に纏(まと)いながら、花々の鏤(ちりば)められた部屋を照らし続けていた聖なるツリーの姿である。
(了)


*注:「きよしこの夜」の原詩。

翻訳『サン・ジュゼッペのロバの話』ジョヴァンニ・ヴェルガ作 その3(最終回)

 ロバは車の引き方も覚えたが、車の轅は彼には高すぎ、荷の重みがその肩にすべてかかって、ロバは六ヶ月持ちそうになかった。上り坂は足を引きずり、ルチアーノは体に気合を入れようとロバを棒で叩かなければならなかった。下り坂はもっとひどかった。なぜなら荷重が背中にのしかかってロバを押し潰し、彼は背を弓のように曲げ、火で焼かれて蝕まれた脚で力の限り踏ん張らなければならなかった。人々はそれを見て笑った。もし倒れれば、天国の天使が総出で起こしに行かねばならないほどだった。
 だがルチアーノのおやじには分かっていた。ロバは三キンタル(一キンタルは約百キログラム)の荷物を運んでくれて、ラバより優秀なのだ。その荷物に対しての支払いは、一キンタルにつき五タリーだった。「サン・ジュゼッペのロバが一日生き延びるにつれて、十五タリーの儲けになる。」と彼は言っていた。「それでいて餌はラバ以下の出費で済む。」時々、ロバの後ろをゆっくりと歩いていく人たちが、可哀想なロバが力の無い足を踏ん張り、背中を弓のように撓(たわ)めて、激しい息遣いをし、生気の無い眼をしているのを見て助言した。「車の下に石を入れて、その哀れなロバが元気を取り戻せるようにしてやりなよ。」しかしルチアーノのおやじはこう答えるのだった。「そうさせたら、一日十五タリーは稼げんよ。こいつの革で、わしの皮を直さなくてはならんのだよ。まったく動けなくなったら、ロバは石灰工の奴に売ってやる。いい家畜だし、奴の役に立つ。サン・ジュゼッペのロバが臆病だなんて全くの嘘っぱちだ。こいつは農園主のチリーノからパン一切れ同然の金で手に入れたものでね。あいつは一文無しになっちまったからな。」
 そうやって、サン・ジュゼッペのロバは石灰工の手に落ちた。石灰工は二十頭ほどのロバを飼っていて、どれもがやつれて死にそうだった。ロバたちは彼のために石灰の小袋を運び、歩く道すがら口で引きちぎれる雑草を食べて命をつないでいるのだった。石灰工はそのロバを欲しいとは思わなかった。他の家畜よりひどい傷痕だらけだし、脚は焼かれた条(すじ)がつき、背峰は犂につなげた鞍に痛めつけられ、転び続けたせいで膝は潰れ、白と黒の毛並も、黒ずんだ色の他の家畜の中に混じると目立たないように思えた。「そんなことは何でもないさ。」ルチアーノのおやじは答える。「それどころか、遠くからでもあんたたちのロバどもを見分ける役には立つさ。」そして取引をまとめようと、言い値の七リラからさらに二タリー引き下げた。しかしサン・ジュゼッペのロバはもはや、誕生に付き添った女主人が見てもそれだとは分からなかっただろう。鼻面を地面に向かって下げ、耳を石灰の入った袋の下で雨傘のように垂らしている姿は、それほど変わり果てていたのだ。ロバは群れを引き連れている少年が棒で叩くたびに、背をよじらせていた。しかし女主人自身も今や様変わりしていた。うち続く不作と飢え、彼女と夫、息子のトゥリッドゥが三人とも平原で罹った熱病。硫酸塩を買う金も無かった。なぜなら、たとえ三十五リラででも売れるサン・ジュゼッペのロバすらいなかったからである。
 冬になって仕事がなくなり、石灰を焼く薪(たきぎ)も乏しく、遠くに行かねば手に入らなくなり、凍結した道は垣根に一枚の葉もなくなり、凍りついた溝沿いにも食べられる刈り株の一つさえ見当たらなかったからである。生きることは哀れな家畜たちにとって厳しいものだった。冬の間飼料は半分食べ尽くされてしまうことが、主人には分かっていた。だからいつもは、春になるとたっぷり飼料の蓄えを買い込んだものだった。夜になると家畜の群れは戸外の、石灰を焼く窯のそばに留まるのだった。彼らはお互い身を寄せ合って楯とした。しかし輝く月光が剣(つるぎ)のように、彼らの上を端から端まで通り過ぎ、彼らの皮の固さにもかかわらず、背峰の擦り傷には悪寒が走り、彼らはまるで言葉を交わしているかのように、寒さの中震えていた。
 暮らし向きのもっとひどいキリスト教徒もたくさんいる。彼らには、ロバの群れを見張りながら窯の前で眠る少年が着ているボロボロのマントすら無いのだった。この近所に貧しい女が、石灰の窯よりもっとみすぼらしい家に住んでいた。その家には、星の光が屋根から刃(やいば)のように射し込み、まるで戸外にいるようだった。風は、家を覆う四枚のボロ布をはためかせていた。以前彼女は洗濯屋をしていたが、それは惨めな職業だった。なぜならば人は皆、おんぼろの服を洗うとしたら、自分の手で洗うものだからだ。息子が成長した今、彼女は村へ薪を売りに行った。しかし誰も彼女の夫のことを知らず、売るための薪をどこから手に入れているのかも分からなかったが、彼女の息子は、母が農園の番人から発砲される危険を冒して、あちこちと薪をかき集めに行っているのを知っていた。「もしあんたがロバを手に入れたら、」もう役立たずのサン・ジュゼッペのロバを売り飛ばそうとして、石灰工は彼女に言った。「もっと大きな薪の束を村へ運べるぞ。あんたの息子はもう大きいからな。」哀れな女はハンカチの結び目に何リラか隠し持っていたが、石灰工にその金をせしめられた。というのも諺に言う通り、「古い物は愚か者の家で死ぬ」からだ。
 少なくともこうやって哀れなサン・ジュゼッペのロバは、その最期の日々をより良く生きた。寡婦は支払った金のおかげで彼を宝物のように扱ったし、彼のために夜の藁と干し草を探しに行き、家のベッドの傍らに彼をつないでくれたので、それは彼をマッチのように温めてくれた。この世では、片方の手がもう片方の手を洗うように、助け合いが行われるのだ。女は、耳がどこにあるのか見えなくなるほど山のように薪を積んだロバを自分の前へと追い立て、夢物語を紡いでいた。少年は垣根に穴が開くほど薪を切り、無謀にも森の外れまで積み荷を束ねに行き、母と息子はこの仕事で金持ちになれると信じていた。だがついに番人が少年を、小枝を盗んでいる現場で捕まえ、棒で散々に叩きのめした。医者は少年を治療するため、女のハンカチに残っていた金と、薪の蓄えと、売れる持ち物全てをむしり取った。しかもそれは大した額ではなかった。それで母親はある夜息子が熱を出し、壁に燃えるような顔を向けてうわごとを言い、家には食べられる一口のパンも無くなった時、不安のあまり、自分も熱があるのだと口にしながら外へ出た。そしてすぐそばにあるアーモンドの木の枝を折り、明け方にそれをロバに載せて売りに行こうとした。しかしロバは重さのあまり上り坂で膝をついた。それはまるでサン・ジュゼッペのロバが幼子イエスの前で跪いているようだったが、もうそれきり起き上がろうとしなかった。
 「ああ何てこと!」女は呟いた。「皆さん、この薪を運んでください!」
 通りがかりの人々はロバの尻尾を引っ張り、起き上がらせようと耳に噛みついたりした。
 「死にそうだっていうのがわからんのか?」ついに一人の馬車引きが言った。それで皆はロバから手を放した。ロバは死んだ魚のような眼をし、鼻先は冷たく、皮膚には震えが走っていたのだ。
 女はその間、熱で顔を赤くしてうわごとを言っている息子のことを考えては、口籠りながら言った。
「どうしたらいいの? どうしたらいいの?」
「もしロバを薪全部と一緒に売ってくれるなら、五タリーやろう。」車の荷が空になっていた馬車引きは言った。そして女が目をみはってじっと彼を見つめると、こう付け加えた。「買うのは薪だけだがな。ロバに何の値打ちがあるんだ!」そして彼は死骸に蹴りを入れた。それは皮の破れた太鼓みたいな音を立てた。
(了)

プロフィール

井上孝夫

Author:井上孝夫
多言語の学習・研究、多言語読書を長年続けています。著書に新潮新書『世界中の言語を楽しく学ぶ』『その日本語、ヨロシイですか?』あり。マンガ・イラストの別ブログ「スケッチ貯金箱」もやっています。

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