相変わらず忙しい

 いつもやっている校閲講座の外に、今年は別の講座が1本(とりあえず1回試みに)と、出張の講演の依頼があって、相変わらず、のんびりというわけには行きそうもない。多言語学習も多言語読書も止めず、そのうえ絵まで描いているのだから時間が無いのも無理はないのだが、それぞれにどのくらい重点を置くかは、その時の状況によるので、決してコンスタントに決まっているわけではない。本業以外の仕事が多いと、やはり語学やイラストにかける時間は限られる。
語学的には今、イタリア語への翻訳に時間を割いている(といっても毎日僅かずつだけれど)。第1章の訳文をイタリア人の先生に見てもらった。大きく文章を直さなくてはならないということは無かったけれど、細かいところはやはり訂正する部分がかなりあった。でも概ね問題はなさそうなので、少し自信を持って今後も続けたい。
その他の言語は、ルーティーンを着実にこなすだけだ。ジプシー(ロマ)語の文法を新たに始めた(白水社で入門書が出たので)。ベルベル語の追加学習も結局は全て書き足すような形になり、そう楽ではない。
ダンテのラテン語は、近代語との狭間的な特徴がかえって難しい。イタリア語も知らないと逆に読むのは難しいものであると知った。
シェークスピア「オセロ」は、飛び飛びに読んでいるので今一つ進まない。時間がもう少しあれば。
ともかく、講座の準備とイタリア語翻訳が、今のメインになっている。
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訳して分かったこと

実は今、自分の書いた本をイタリア語に訳しているのだが、これが結構大変である。
何が大変かというと、自分の文章の訳しにくさである。
日本語で文章を書くときは、文法を考えて書いているわけではない。日本人に分り易いように、ということしか考えていない。そういう状態で綴られる言葉は、何か野生動物のようで、翻訳するのにちょっとばかり腕力が要る。これがネイティヴの言語の一筋縄では行かないところなのだろう。そのことに、自分の文章を相手にしてはじめて気付いた。これはすごく良い勉強だ。なにか言語の本質に触れることをやっている気がする。時間は掛かるが、最後までやってみたいと思う。イタリア語の先生がチェックしてくださる。とても有り難い。スクールに行っていて本当に良かったと思う。「自分の書いた日本語を外国語に訳す」という発想は自分からはできなかったと思う。
しかし電子辞書というものがあって本当に助かった。デジタル化の最大のメリットの一つは辞書類のデータ化である。電子辞書を引きこなすにもテクニックがいろいろあるな、ということも今回のイタリア語への翻訳で感じたことだ。ネットの補完的利用も大いに意味がある。翻訳者にとって、デジタル化以前と以後では天と地ほどの違いがあるのであろう。

統一したら標準語はどうなるのだろう。

 韓国語の言い回しや語尾のヴァリエーション、重要単語などを書き抜いたノートを久しぶりに取り出して電車の中で読み直し・暗記することにした。ずいぶん前に中級韓国語の教本のようなものから書き抜いたもので、自分なりの分類を施した部分もある。ここのところ朝鮮半島の状況がキナ臭かったので、あまりやる気になれなかったが、少し安定する望みが出て来たので、すこし前向きにやり直そうと思った次第。
 それにしても、朝鮮半島の情勢はどのあたりで落ち着くのだろうか。いきなり統一、というところまでは難しいのかもしれないが、もしそれに近い状態になった時、ソウルの韓国語とピョンヤンの朝鮮語(正確な言い方ではないかもしれないが、区別をシンプルにするため仮にそう呼ばせて頂く)のどちらを標準語として採用するのか、という点が私の関心事である。

 ある本のイタリア語への翻訳という大変なことを始めてしまったので、ちょっと時間が足りない。うまく時間を使わなければならないが、他のこととどう調整するか、が現下の悩みである。

聴き取りの意味・読書の変更

 ネパール語の復習の聴き取りが済んだ。こういう聴き取りは、まるっきりその言葉の感覚を忘れてしまうのを防ぐために行うもので、完璧に頭に叩き込むなら、それを何度も繰り返すことが必要になる。しかし実際の必要があるならともかく、時間的にそれは無理なので、やはり語学は、どの言語をどの程度まで掘り下げてやるか、という序列を決めてやらないと泥沼になる。
 この頃いろいろな海外の歌を訳してみる、ということをやっているが、そうするとその言語の感覚をどれくらい覚えたか、によって進み方が大きく違うのがよく分かる。やはり時間をかけている言語は、速く進む。詩自体を楽しんで訳している感じになる。むしろ日本語の訳語の選択に大きく比重がかかってくるのだ。ところがあまり慣れていない言語の場合、文法的解析と語彙の意味の選択・解釈に時間が掛かる。内容の筋を掴むのに時間が要るのである。そのためにも、時折こういう聴き直しは必要だ。
 というわけで、ネパール語のあとは、ここのところずっと読み込んでいた『はじめてのモンゴル語』(明日香出版社)の聴き込みに入る。聴く前に調べておくのはいつものことだが、さらに何度も熟読してなるべく覚えようとしておいたのは初めてだ。それが今後の聴き込みと相俟ってどういう効果を見せるか、少し楽しみである。モンゴル語はいつまでも歯が立たなかったので、ちょっとしつこくやっている。一種の意地である。『今すぐ話せるフィリピン語』(ナガセ)も聴いている最中だが、これもタガログ語に関するもどかしさを少しでも無くしたい思いで聴いているものだ。
 読んでいたカレル・チャペックの『Loupežník』は中断。途中で登場人物(というか鳥)の言葉があまりに訛りがきつくて全く解釈できず、電車の中で読むには不適当と思ったからだ。家で読めるようになったら再開するかもしれないが、とりあえずはモーパッサンの短編集(フランス語)に交替する。電車の中で読書するのもあと1年少しだ。時間を無駄にしたくない。時間の掛かりすぎる物は、後回しにするしかないだろう。

一日中翻訳

ひょんなことから、今日は翻訳を3本進めることになってしまった。2本は和訳、1本はイタリア語への翻訳である。前の二つは校閲講座用で、使用する問題のためのもの(英文)と、もう一方は歌詞である。今日の歌詞はタガログ語。大変難しかった。しかしこういう経験はその言語への理解が深まる気がする。しかしタガログ語(ピリピノ語)は、日本語の良い辞書が無い。そういえばタガログ語は大学でもあまり教えていないのではないだろうか。近い国なのに意外である。英語教育ばかり論じられている一方、なんとも淋しい話である。
一日中翻訳をやっていると、慣れないせいかやはり疲れる。イタリア語への翻訳はまだまだ時間が掛かる。あせらず地道にやって行こうと思う。
プロフィール

井上孝夫

Author:井上孝夫
多言語の学習・研究、多言語読書を長年続けています。著書に新潮新書『世界中の言語を楽しく学ぶ』『その日本語、ヨロシイですか?』あり。マンガ・イラストの別ブログ「スケッチ貯金箱」もやっています。

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