散々(?)な週

 先週、ベッドから転落して顔を打って怪我をした。幸い打ちどころが良かったので傷は大したことがなかったとはいうものの、散々な一週間だった。その上Windowsのバージョン更新を行ったらパソコンの具合が悪くなり、電器店へ持って行く羽目に。
 こういう時は、大きな怪我にならなかった幸運と、パソコンの調子が戻った幸運をまず感謝すべきなのだろう。悪い事ばかり数え上げてボヤくより、前向きだろうと思う。
 パヴェーゼの『月と篝火』原書講読は、半分を過ぎた(原書を二分割しているので、ちょうど入れ替えになる)。読み進めているうちに徐々に引き込まれる。選んで正解だったか。
 ハンガリー語と広東語の聴き込みも、1日1課分しか前に進まない((ある程度記憶しようと思えば仕方がない)ので遅々たるものである。でももう焦る気持ちは無い。一日一日楽しんでやろう。
 今週は講座があるが、淡々と物事の進む週にしたい。
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福井出張終わる

 先週福井市に行き、文章講座の一環として校閲についてお話しして来た。
 皆さん熱心に聴いて下さったので、出張した甲斐があった。
 福井は空間をゆったりと取った、とてもくつろげる街だった。また田園の中に突如現れる図書館は大変充実した施設であって、少し羨ましい気がした。
 また、偶然知ったことではあるが、校閲講座のマスコットキャラクターであるレッサーパンダは、なんと福井の隣の市、鯖江市のマスコットキャラクターでもあったのだ。この偶然は先方にも大変驚きであったらしく、その話で相当盛り上がった。おみやげに校閲講座特製、レッサーパンダのイラスト入りクリアファイルを出席の皆様に進呈させていただいた。これはゲラの体裁を模した底面と、赤字や鉛筆疑問の印刷された上面を合わせると、校閲済みのゲラの状態に見えるという、ちょっと手の込んだ造りになっている。喜んでいただけたら幸いである。
 さて出張も済んだし、別件で依頼されていた校閲関連の原稿も脱稿したので、久しぶりにのんびりとする。本当は、進んでいない語学をここらでみっちりとやるべきだろうが、如何せんもう歳なので無理をするのはやめておく。淡々と日常の務めを果たすことにする。

福井へ

 校閲関連の講演を頼まれて、来週福井に行くことになっている。元来人前で話を好んでする質でもなく講師などやる柄ではないのだが、せっかく人が求めて来たものに無闇に応えない、というのも人間としてどうかという気もするし、地方の方々も出版社の話には興味をお持ちかもしれない。それに応えるのも意味があるだろうということで、行く決心をしたわけである。
 この仕事について世間の人が話を聞きたいというのは、もちろんドラマの影響が大きいとは思うけれども、何かとインターネット上での誤報や、言葉遣いの問題などが人々の意識に上ることが多くなったからかもしれない。
 いずれにしろ、私の話が面白いとか、特別深い内容の講座だからといって人が来るわけでもないだろう。来週の講演でどれくらい満足していただけるか、いささか不安でもあるが、頼まれたことだ、微力ながら全力で務めさせて頂くつもりだ。
 というわけで、来週はブログ更新はお休み、ということになります。

語学は不要になるのか?

 大学教育で第二外国語を選択する必要がなくなっているそうだ。もうだいぶ前に聞いた話だから、当たり前になっているのかもしれない。どのくらいの範囲でそうなっているのかも知らない。しかし「英語さえわかればOK。その他の言語など学習不要」という傾向は全般に広がっているようである。
 そこへ人工知能の登場である。ますます楽になりそうだ。英語だって勉強する必要はなくなるかもしれない。世の中の期待は高まっているように思える。今時語学なんかやっている奴は先見性の無い愚か者だ、と思いたい、という無言の願望が感じられるようだ。
 よく指摘される翻訳の「精度」は、いずれある程度実用的なレベルまで上がるだろう。ディープ・ラーニングという手法の原理を聞けば、そうなるだろうという予測は立つ。
 残る問題は翻訳の正誤をどうやって判断するのかという問題と、文学的表現その他、人間的要素が多分に絡んで来る文章をどれだけ訳せるのかという問題である。
 ここまでは一般に認識されている事柄であるが、さらに問題がある。
 結果として日本語に訳されたものを読むだけで済むとなると、その言語でなければ感じ取れないニュアンスや意味は無視する、という結果になる。論理だけ通じればよいということである。ここに問題は無いのであろうか。文学などは、作者の書いた言葉を直接味わうということが大切な領域であるはずだが、人工知能に代わりに「味わってもらう」わけにはいかないのだから、どこまで深い理解ができるかどうか、心許ない。
 結果として、他民族の心情や考え方に対する深い理解が得られなくなる、ということになりはしないか。言語を学ぶのは、他者をより理解するためでもあるのだが、そこの努力は不要、実用さえ満たされれば楽なほうが良い、という状況が続いた結末はどういうことになるのか、少し危惧している。

予定外

 シェイクスピアの次の作品を選ぼうと思って丸善に行った。
 『リア王』(King Lear)にしようと思っていたら、適当な判型と軽さの本が無い。当てが外れたと思ってしばし思案。結局いい感じの大きさの『オセロ』(Othello)にした。こういうのはきっと縁というものだろうと最近は思う。神様が、「そっちではなく、こっちにしろ」と命じたわけだ。素直に従おう。しかしシェイクスピア作品も結構な数がある。全部を読むのは無理だろう(私には)。作品が気に入っても作家研究という方向には行きたくないので(そうなると窮屈だ)、選ぶ作品は重要なのだけれど、自分が考えていた通りにならないほうが意外と良い出会いがあるようにも思っている。予定外のことも人生のうち、である。

 復習中の広東語を聴き直してみると、あまりにも覚えていないのにびっくりする。前回は聞き流していたのだろう。ノルマ達成みたいに学習を回転させていた頃のものには、案外こんな状態のものもあるだろうと思う。こんどはちょっとのんびりと復習するつもりだ。
プロフィール

井上孝夫

Author:井上孝夫
多言語の学習・研究、多言語読書を長年続けています。著書に新潮新書『世界中の言語を楽しく学ぶ』『その日本語、ヨロシイですか?』あり。マンガ・イラストの別ブログ「スケッチ貯金箱」もやっています。

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