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少数民族言語の行方は

 中国では少数民族の言語教育を禁止したのだという。

 あまりのことに声も出ない。言語というものをどう考えているのだろう。

本当の大国というものは、少数者の言語や文化を尊重するものではなかったか。

母語とは王様が話す言葉ではない。お母さん(あるいはお母さんに代わる身近な人)が話す言葉である。人間はその言葉を空気のように吸い込み、その中で人生を始める。骨がらみのものである。後から取ってつけたように押し付けられるものではないのだ。

かつて中国では少数民族の言語を研究し、その文法叢書を発行するということを延々と行っていた。あの鷹揚さはどうしてしまったのだろうか。

長い目で見ればこの政策はうまく行かないだろう。言語の本質を見誤っているからだ。もし成功するとしたら、それは各民族を根絶するというやり方でしか実現しないだろう。そんな恐ろしいことをする必要があるとは到底思えない。文化にしろ言語にしろ単一化した世界は躓いた時怖い。予想しない事態にヴァラエティに富んだ発想で対処できなくなるからだ。

この事態の進展が思いやられる。


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どうなっても忙しい

 ユピック・エスキモー語の文法を学習し始めてからもうだいぶ経つが、いまだに終わらない。450ページ分の400ページ弱まできたのだが、あらためて非常に難しい言語だと思う。この言語は接辞がとにかく多い。それが複雑な音変化を伴うので、接辞を切り出すこと自体が困難なのである。接辞グロッサリーを作っているのだけれども、接辞部分の頭音が変わり、あるいは接辞の最終部分の音や音節も脱落したり消失したり、次の接辞と音が融合したいりと一筋縄では行かない。正直今まで知っている言語のうちで、私にとっては最も「難しい」言語である。これをやらないで世界の言語を語る、というのはなんだか児戯に類するような気さえしている。

ナヴァホ語ももう一つはっきり掴めなかったが、これはむしろ入門書の記述が不徹底なことに起因するものかと思う。

このほかにも想像できないような組み立ての言語があとどれくらいあるのだろうと思う。コーカサス諸語とかパプア・ニューギニア諸語、アメリカ大陸の他のの先住民言語などに意外なものがあるかもしれない。アフリカも可能性はある。本当に言語とは驚くべき多様性を持つものだと今更ながら感じている。

それはそうと、妻が怪我で入院してから独居老人状態で暮らしているのだが、やはり最低限の家事はあるので、言語三昧とはいかない。それどころか、さる出版社から校閲のことについて本を書くという仕事が来たので、その原稿執筆もある(挿絵やイラストも自分で描く)。校閲の仕事は今そんなわけで休んでいるが、本職なのでそうそう休んでもいられない。ああ、どうなっても忙しいことだけには変わりがない。

これも勉強

 妻がアキレス腱を切ってしまうというアクシデントがあって、もう少し早めに更新し用と思っていたのが、またもやこんなタイミングになってしまった。
 今は『ドン・キホーテ』原文読解もストップ、アンデルセンも同様で、ただユピック・エスキモー語の文法だけは講座のために続けている。タイ語・カンボジア語・アイルランド語の読解(または復習)は細々とやっている。聴き込みはなかなか思うように行かないのだが、ユピック・エスキモー語、ナヴァホ語はなるべく頻繁に、アルメニア語、ヴェトナム語は出来るときにやっている。
はかばかしく学習が進まない時があるのはやむを得ない。人生とはそういうものだからだ。だが出来ることまであきらめることは無い。いままでやっていなかった家事を覚えたのも一種の学習で、逆にアクシデントに対する備えが出来たと思えば、これもプラスだろう。多言語学習者も仙人のような暮らしをしているわけではないから、必要なことなのだ。

ひさしぶりに更新

ずいぶんこのブログの更新も滞っている。仕事その他で忙しく、書かなければ書かなければと思っているうちに時間が過ぎてしまう。

『カーボ・ヴェルデ・クレオール語への誘(いざな)い』(晃洋書房)をまとめた。カーボ・ヴェルデは西アフリカの洋上(セネガルから約500キロ)に浮かぶ独立国で、そこで話されるポルトガル語と西アフリカのいくつかの言語の要素からなるクレオール語である。なぜこの言語を覗いてみる気になったかというと、以前友人からもらったCDに同国出身の有名な女性歌手セザリア・エヴォラのものがあったからである。なかなかいいCDだったし、歌詞も記されていたので、この言語がポルトガル語と関係のある言語だとは気付いていた。しかし文法的に把握はしていなかったので、この本を見つけた時に即購入したのである。
 このような言語の出版は稀なことなので、それには深く感謝したいが、正直翻訳(原書はフランス語)に関しては少々戸惑うことがあった。それは文法用語の訳出が聞きなれないものが多く、はたしてこの用語でよいのかと悩むことが多かったせいである。
「現在形」と書いてあるのに例文は過去や完了を示しているものばかりだったり、微妙な区別のある活用(曲用)体系が訳語からその差異が十分に感じ取りにくかったり、ということがあって、自分で用語を変えてまとめたりしたのである。志は高く評価したいが、この点が瑕疵ではないかと思った。しかし貴重な知識をいただいたことはあらためて感謝したい。
 それが終わったので『アイルランド語文法 コシュ・アーリゲ方言』(研究社)にとりかかる。アイルランド語(アイリッシュ・ゲーリック)はもちろん既習であるが、この本は丁寧な練習問題も入っていて、文法書としての佇まいがすばらしいので、復習および補強として読んでみることにした。

 そのほかは以前からの続きである。なかなか時間が無いから進まないのだがやむを得ない。12月4日に「翻訳のための多言語学習ゼミ」中東・アフリカ篇を行った。コロナが猛威を振るっている最中でもあり、参加者は8人と少人数だけれども、皆さん多言語に大変関心の高い方々ばかりと見えて、熱心に聞いてくださった。こちらもやり甲斐があるというものである。次回は3月、チュルク諸語やモンゴル語・朝鮮語・日本語(沖縄語なども)やアイヌ語を取り上げる。はやく疫病が去ってくれないかと願うばかりである。

柔軟にやる

 キリバス語の文法は終了した。会話文は少し調べたが、グロッサリーが貧弱なのと音声が付いていないので中途で打ち止めにした。講座に必要な簡単な例文をピックアップする作業が残っているが、YouTubeで少し実際の発音も聞いてみないといけないだろう。
 ユピック・エスキモー語は文法書の記述部分450ページのうち350ページを終了。しかし本当に難しい。本格的な辞書がないと、例文を解釈するのも一苦労である。会話集は聞き続けているが、分からない部分もあるので、講座用のピックアップ作業はまだ先である。
 ナヴァホ語も聴いているが、文法書の記述が足りないこともあり、これも作業はまだ先である。資料が少ないので致し方ない。これらが済めば多言語講座のテキストは一切が完了するのだけれど。
 多言語読書の方は細々と続ける。アンデルセンの「人魚姫」は以前読んだのだが、本当にそうだったのか不思議に思うほど今回は進まない。大学書林の大きなデンマーク語辞典で調べているが、テキストのスペリングが古いのと、調べれば調べがつくことが多いので逆に進まないという矛盾した現象が起きている。以前は小さな辞書で、電車内で読み、分からない部分は推測で読んでいたからかえって進んだのかもしれない。しかしきちんと理解しようとすれば逆に進みが遅くなるのである。だが必要な作業である。推測で適当に済ませれば理解はそのレベルにとどまる。慣れるためにはそういう読み方も有効だろうが、最終的にはやはり調べるものは調べないと。
 アルメニア語の聴き込みは思ったより難しい。同じ印欧語族といっても単語の形に共通点が少ないのでなかなか頭に入ってこない。一回で聴く範囲を狭めて繰り返し聴く。当然進みは遅くなるがこれは仕方がない。
 ヴェトナム語の聴き込みはは北方方言の部分を進めている。それにしてもいわゆる孤立語(私の呼び方なら配列言語)の論理性は慣れないと把握しにくい。というより、論理性が判然としなかったり一貫していなかったり、文脈次第といったことも多いのでまことに厄介である。すらすらと話し読めるようにはきっとなれないだろうという予感がする。これもやむを得ない。
 娘の第二子出産で、実家である我が家は今てんてこ舞いである。当然私も慣れない手伝いをする。もちろん語学は後回しである。しかし何とか合間を盗んで途切れ途切れに続けている。生きていく上ではこんな風にやっていくしかないシーンはままあることだ。柔軟に対応するしかないだろう。
プロフィール

井上孝夫

Author:井上孝夫
多言語の学習・研究、多言語読書を長年続けています。著書に新潮新書『世界中の言語を楽しく学ぶ』『その日本語、ヨロシイですか?』あり。マンガ・イラストの別ブログ「スケッチ貯金箱」もやっています。

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